〜前回のあらすじ〜
  エルメンリーアの班は、父王シトラ6世の差し金により、安全確実、しかしつまらない場所であるエービ川に行かされそうになっている。エルメンリーアは自分のせいなのだろうかという疑問を抱き、王女という身分に嫌気がさしていた。

 

 4.

 エルメンリーアは、生まれてからずっと色々な人に可愛がられ、色々な人にほめられてきた。
 父王も母妃も兄も姉もエルメンリーアには優しかったし、城の人や大臣などにも可愛がってもらえた。
 それでもわがままづくしの姫にならなかったのは、生来の気質もさることながら、祖母のエレーセに拠るところが大きい。
 エレーセは、多分本当の意味でエルメンリーアのことを考えていた、唯一の人だった。
 彼女はエルメンリーアが悪いことをすればきちんと叱り、同い年の友だちが少ないと気づいては、臣下の子供たちと積極的に遊ばせ、魔術の素質があると分かっては、ジュニアの受験を強く勧めた。
 エルメンリーアはそんな祖母が大好きで、祖母が住んでいるところは自分の住んでいるところから、子供の足で歩いて30分もかかるところだったにもかかわらず、よく行ったものだった。
 今回も、もし祖母が生きていたら相談しに行ったに違いないのだが。
 でも、その祖母はもういない。エルメンリーアは、自分で考えなければならない。

 

 次の日。修学旅行のための班会議が終わり、昼を少し過ぎたあたりの放課後。
 エルメンリーアは、城下町を走っていた。いつもはお供がいるのだが、今日はさっさとまいてある。何とか頑張ったのだ。
 何のために走っているのかというと。
 「ジーン!ジーン・トリア!待って下さいな!」
 前をずんずん歩いていた、金髪の少年が振り返った。
 「…エルメンリーア」
 やっと止まってくれた。エルメンリーアは息をきらして駆け寄った。
 「どうかしたのか?」
 「ジーンったら、足、速いん、ですのね。はあ、はあ、疲れまし、た…」
 「─ 大丈夫かよ。おつきの人はどうしたんだ?」
 「まいてきました。平気ですわ」
 「まいてきたって、お前な…」
 「あの、ジーンが、お気を悪くしているのではないかと思って…」
 「俺が?」
 ジーンは、頭を掻いた。ほとんど黒に近い、ダークブルーの瞳はきまり悪そうにそっぽを向いている。何となく「悪ガキ」という印象のする少年だった。
 「ええ。だってジーン、修学旅行をとても楽しみにしていらしたから。私のせいで、エービ川になりそうでしょう?だから…」
 「…別にそれは、エルメンリーアのせいじゃない。うちの班にはやかましいクラス委員も、大臣の息子もいるわけだし…」
 歯切れの悪い言い方で、エルメンリーアは悲しくなった。
 「でも…嫌なんでしょう?」
 「やだけど…俺がどうこう言ったって仕方ないじゃないか。大人しく安全な街道通って、エービ川にキャンプでもしに行くしかないだろ」
 「そんなの、嘘ですっ!」
 不意にエルメンリーアは大きな声を出した。
 「だってジーン、そんなの嫌なんでしょう!?ジーンらしくないですわっ!─ いいです、私が班を抜けさせていただけるよう、先生にお願い致します!だから…だからジーンは、好きなところに行って下さいっ!」
 最後の方は涙声になりながらも、エルメンリーアは一気に言って、たーっと走っていってしまった。
 「…」
 一言も口を挟めなかったジーンは、呆然とするしかなかった。

 

 5.

  エルメンリーアは、泣きながら走っていた。
 ─ 何やってるんだろう、私。
 本当はきちんと話をするつもりだった。ジーンが、班会議の時につらそうな顔をしていたから。修学旅行を楽しみにしていたのに、一番行きたくない場所に行かされそうで、見ていられなかったから。
 私のせいで。
 今は、「王女」という身分が嫌で嫌で仕方なかった。
 「おっと」
 泣きながら走っていたせいだろうか。誰かに当たってしまった。
 「す、すみません」
 一礼して、行こうとした ─ 瞬間手をつかまれ、引きずり込まれた。

 

 細く暗い袋小路。
 エルメンリーアはそんなところに連れ込まれていた。
 さすがに、よからぬことだということは分かる。
 「あ、あの、離して下さいませ」
 彼女の手を掴んでいた男は、振り返ってぞっとするような笑いを浮かべた。
 気づけば、まわりに下卑た男が2,3人いる。
 「兄貴も手が早いな」
 「こういうことは迅速確実に、だ。おいお前ら、今回はアタリだぞ」
 「確かにね。…お嬢ちゃんー、可愛いねえ」
 「…あの、ぶつかってしまったことは謝りますから、お手を離していただけませんか?」
 「そーはいかないんだよな、うん。悪いけど。 高く売れそーだからね」
 「何がですの?」
 裏の世界をまるっきりといっていいほど知らないエルメンリーアは、きょとんとした。
 「…本当に、分かんねえの?」
 「はい」
 「本物だな、こりゃ」
 「よっぽどのお嬢じゃねえの?」
 男はエルメンリーアの顎に手をかけた。恐怖を感じる。
 「や、やめて下さい」
 「うん、生粋のお嬢だ。すれた色がねえ。…待てよ、この顔どっかで…」
 ─ そうだ。
 エルメンリーアはやっと気づいた。
 大きく息を吸い込む。悲鳴をあげればいいのだ!
 「このっ!」
 男はそれと察し、慌ててエルメンリーアのみぞおちに一発入れた。 痛みが走る。
 「氷矢!!」
 その瞬間どこからか女性の声がし、長さ10センチ程の氷の矢が男の肩をつらぬいていた。そこまでは分かった。
 それ以上は…意識が遠のいて分からなかった。エルメンリーアは気を失ってしまったのだった。