〜前回のあらすじ〜
 突然エリザベラのもとにやってきた小汚い男はカルヴァン・ウッディと名乗った。将軍家の三男だったが、詩人になりたかったため勘当されているという。彼はエリザベラに「Miss Moonlight」というフレーズを残して帰っていった。


4.

  夕食後にはまた、エルメンリーアが絵を描きに来た。
  昨日のエリザベラの発言を憶えていたらしく、少々心配そうな顔をして、
  「お姉さま、ご気分はどう?」
  「悪くないわ」
  よかった、と言いながらいそいそと描き始める。 描きながら、
  「お姉さま、今日お客様がいらしたんですって?」
  「― 誰から聞いたの?」
  「門番から」
  「…そう。本当よ」
  「とても汚い男の人だと聞きました。何のごようじだったの?」
  「さあ…詩人だそうよ」
  「シジン?」
  「エルメンリーアの嫌いな、暗唱文を考える人よ」
  みるみるエルメンリーアが困った表情になる。
  「じゃあその人は、お姉さまに宿題を出したの?」
  「え?」
  エリザベラはさすがにあっけにとられ、ついでに少し笑ってしまった。
  「そういうわけではないわ。大丈夫よ、エルメンリーア」
  「では、何をしにいらしたの?」
  「― さあ、何なのかしらね」

 

5.

 数日後、エリザベラが自室で本を読んでいると、
  「やあ、エリザベラ」
  カルヴァンが傍らに立っていた。
  「― 」
  さすがにエリザベラは驚いて口がきけなかった。
  「びっくりしたでしょう。俺、魔術使えるんでした」
  「…『風運び』ね」
  思い当たった。かなり高度な魔術だが、大気の精の力を借りていったん自分の体をとかし、自分の思う場所で再生するというものがあった。
  「これは危ないからね。出来れば使いたくなかったんだけど。
  ― エリザベラ。君、門番変えただろ。とびっきーり、うるさい奴に。門の前にはりついてスキがなさすぎたから、交渉するのもあきらめざるを得なかったよ。確かに変えたほうがいいとは言ったけどさ、もうちょっと何というか、人選、あるでしょう。他にも」
  「知らないわ。変えたのはお父様よ」
  お父様に門番がエルメンリーアと親しく口をきいているとそれとなく言ったのは私だけれど。
  「まあ、失敗しなかったから、いっか…」
  カルヴァンは相変わらず小汚い印象の髪をかいた。エリザベラは顔をしかめる。
  「さて、押しかけてすまないね、Miss Moonlight」
  「詩とやらは書けたの?」
  「うん。まあまあ。まだ途中。今日はただエリザベラに会いに来ただけ」
  「どうして」
  「君の空間が、楽しいから」
  「私も、会いたかったわ」
  我知らずエリザベラは言い、立ち上がった。
  立ち上がっても、エリザベラの背丈はカルヴァンの肩までしかない。
  彼女はカルヴァンを見上げた。時を止めてしまいそうな瞳が、カルヴァンを射る。
  「退屈なの」
  「退屈?」
  エリザベラはそれ以上何も言わなかった。二人は、どちらからともなく抱きあった。そうしたかった。それが自然のような気がした。
  ― 少しの時が流れた。
  「エリザベラ」
  「…」
  「退屈っていうのは、多分違う」
  「では、何?」
  「― 淋しかったんだね」
  エリザベラは驚いて顔を上げた。
  「エリザベラ」
  カルヴァンは少し笑ってエリザベラの頭を撫でた。
  「淋しい…?」
  エリザベラは初めてその言葉を知った気がした。
  「間違ってたらごめん。― 抱きしめられることを知らない。誰かといることの安らぎを知らない。自分の中の淋しさを知らない。 ― だから君は、Miss Moonlightなんだ。…違うかな」
  エリザベラの頬を、涙が伝った。 彼女はその涙すらも扱いかねているようだった。カルヴァンは優しくエリザベラを抱きしめ、近くの長椅子に座らせたのち、自分も隣に座って、今初めて自分の感情を知った王女の頭を撫でていた。