〜前回のあらすじ〜
宿題でエリザベラの肖像画を描きに来たエルメンリーアを、エリザベラは何となく途中で追い返してしまう。別に、深い訳があったわけではないのだが…。
3.
次の日。エリザベラは朝食を終えたあと、自室に戻ってバルコニーに椅子を持ってこさせた。
午前中ならば、バルコニーには丁度よく日かげが出来るのである。
ここで本を読んだりうたた寝をしたりするのも、また楽しみであった。
「バカヤロウ!」
― …。
エリザベラは柳眉をひそめた。彼女が望む穏やかな午前にはどうもこう…そぐわない。
声は、バルコニーの下…性格には彼女の部屋がある館の裏口あたりから聞こえてくるようだった。
言い合いをしている。
「俺は、カルヴァン・ウッディだって言ってるだろ!エリザベラ王女に会うだけの身分はちゃんとあるんだ!取り次いでくれったら!」
「誰が信じるかい、そんなこと。ウッディ家の御子息がそんななりをして裏口から入ってくるはずがない!第一、面会の予定など何も聞いてはおらんぞ!」
「だーっ、この格好は金がないからで、表には誰もいなかったからだってば!」
「ウッディ家の人間に金がないわけなかろう!」
エリザベラは騒々しいやりとりを聞くともなしに聞き、記憶をめぐらせていた。
ウッディ家はすぐに分かった。…当たり前である。現将軍の家だ。
だが、カルヴァンという名には覚えが無かった。
「― 誰なのかしら」
呟いて、エリザベラはバルコニーの先に立った。
顔は知っている門番と、見知らぬ若者が一人。何だか小汚い格好をしていた。
「あ…!王女!!」
カルヴァン・ウッディと名乗る男は、見つけた。
「エリザベラ様!」 門番が慌てて振り返る。
エリザベラは一瞬考えたが、侍女を呼んだ。
10分ほど後、カルヴァン・ウッディは当代の第一王女、ル・エリザベラ・アイルーイの自室にいた。
エリザベラは、向かい合って椅子にすわったカルヴァンを観察する。
小汚いという印象は変わらなかった。だいたい、天然の色素もまずい。褐色の髪に瞳。中途半端に日に灼けた肌。そのあたりはウッディ将軍の息子だと分かるところだったが、きちんとしているかいないかで、こうも印象が変わるものだろうか。
年の頃はエリザベラより10歳かそこら上だろうか。ぼさぼさの髪に、多分一週間は洗ってもいないまま着っぱなしの服。
「すまんね、王女様。入れてもらって。俺、部屋でなくても構わなかったんだけど」
「ここは、私の空間だから」
「― 言うことが深いなあ」
「そうかしら」
彼はエリザベラの空間からは浮いていた。どう考えても小汚い。
侍女が、果汁の入ったグラスを2つ持ってきた。
気を利かせて部屋の隅にたたずもうとする侍女を、エリザベラは手を振って追いやる。
「― いいのか?」
「何が」
「侍女。王女様ってこう…侍られてるもんだろう。色々と」
「嫌なの」
「― そうか」
彼はそれ以上追及せずに、エリザベラを眺めていた。
「あなたは、ウッディ家の人なの?」
「ああ、それは本当。知らないだろ。三男坊だから。只今勘当され途中の身。まあ、復帰はムリだろうな。しようとも思ってないけど」
「そうなの」
「俺はねえ…将軍家向きじゃないの。三男だから将軍の地位は回ってこないし、一個中隊任されるのがせいぜいだしなァ」
「任される中隊だって、嫌でしょうしね」
「…」
カルヴァンは一瞬「まいった」という表情をしたあと、ニカッと笑った。
「やるね、お姫様」
「エリザベラ」
「― あー、失礼。どうも、俺…立場ってものに疎くて。気、悪くした?」
「いいえ」
割と楽しいと思っていた。エリザベラは、不敬罪という罪を忘れていた。
「それで、何をしているの?」
「何をしてるって…職業?」
エリザベラはうなずくと、果汁を一口啜った。
「詩人」
「― …」
興味が急に色あせていった。
「オリジナリティがあるようで、ないのね」
「何で?」
「金持ちの息子が家を出るのはたいてい絵描きか、詩人か、その辺の芸術家になろうとしてってことが多いでしょう。一兵卒になりたくて家出したとかいう理由を、私は待っていたのだけれど」
「じゃあエリザベラ姫、あなたは、家をとび出して詩人になろうとしている金持ちの息子とやらの本物を見たことがありますか?」
「…」
エリザベラが言い負かされる番だった。カルヴァンは嬉しそうに、
「お姫様。百、聞いたことより一つ見たことの方が真実の場合もあるんですよ。知らなかったでしょう?金持ちの息子のなれの果てがこんなに小汚いなんて。でもこれでも、週に一度は川につかるようにしているんですよ」
と、歌うように言った。
「じゃあ、真実を教えてちょうだい。あなたは何故私に会いに来たの?」
「そりゃああなたが美しいと聞いたからさ。城下じゃあ、たいした評判だよ」
「そう。それで、あなたが得た真実は?」
エリザベラにとって、自分が美しいということは何でもなかった。彼女にとってそれは当たり前のことであり、大事に守るべきものでも、勢いこんで捨てるものでもなかった。
― 人は私を美しいと言う。でも、それは何なの?
カルヴァンは不意に真面目な顔になった。しかしすぐ笑って、
「うん、やっぱり美しいと思った。こんなことなら舞踏会とかサボらないで出てりゃあよかったと思った。間近で見られてよかったよ」
「詩人のわりに、詩的ではないのね」
「うーん。言葉はこれから見つけるからな。今はちょっと。ワンフレーズ浮かんだだけ」
「そう」
「…」
カルヴァンは少々居心地悪そうにした。
「― どうなさったの?」
「いや、あのさあ。訊かない?普通」
「何を」
「ワンフレーズ浮かんだって言ったらさあ…そのフレーズ」
「ああ。― 別に」
エリザベラがゆっくりとグラスを持ち上げて一口飲み、またゆっくりと置いた頃、彼は恐ろしく真剣な顔をしてエリザベラを見た。
「― 王女様!」
「エリザベラ」
「うん、エリザベラ姫!」
「何ですの?」
「俺、自分に才能ないんじゃないかと思ってたけど、案外、いや全然あるってことが分かった。あーよかった、俺、当分やっていけそう」
「そう。よかったこと」
「訊いてくれないから言うけど、俺が思いついたフレーズ。君を表す端的な言葉は、『Miss Moonlight』なんだよ」
「Miss Moonlight…?」
「そーう。輝ける月光の姫。万人を虜にせずにはいられない輝きを放つくせに、冷たく凛としている。太陽のように万物を抱きしめるような光じゃなくて、何にも流されず、それでも自分を主張してやまない、光…」
「私は、そうなの?」
「うん。俺はそう思う」
カルヴァンはにこにこと笑った。それから立ち上がり、
「じゃ、俺帰る。言葉を考えないと。出来たら持ってくる」
「そう」
「あ、そうだ。門番、あれクビにした方がいいよ。表にいなくて裏でサボってた。王女付きだってのになァ」
「私のところに訪れる人がいないせいだわ」
「俺がいるでしょう。あ、でも親父に見つかるとうるさいんだった…まあいいか、エリザベラからは王様に内緒にお願いしますよ。では」
カルヴァンはいそいそと帰っていった。エリザベラは溜息をついた。

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