一年の約束
2.
メルメ1世の書斎。
本気で話をするときの決まりごとは健在だ。マリアは机の横にある小さな椅子に座って、メルメ1世と向きあった。
「さて、マリア。どうした?セルジオからの手紙はどうだったんだい?」
「…その前に、お父様に一つお聞きしても宜しいですか?」
マリアは思い詰めたような瞳をメルメ1世に向けた。
「いいよ。何だい?」
「私、少しは成長したと思います?」
「…」
何を言いだすかと思えば。メルメ1世はマリアの顔をまじまじと見た。
…至極本気のようだ。
「マリアは自分でどう思う?」
逆に訊かれたマリアは戸惑った。
この1年、何をしてきたか。
セルジオ様の留守を立派に守れるように、とそれなりに努力はしてきたつもりだ。
歴史の勉強はだいぶ進んだし、城下に一人で出かけたこともあった。祖父にも会って貿易も少しずつ進んでいるし…そうそう、剣や魔術も体験したのだった。お金を稼いだことすらあった。
しかしそれらの全てを活かしきれているかと言われるとまだまだのような気もするし、逆にこれ以上は無理だったような気もする。
自分でははっきりと分からないのだ。
「…悪くないと…思うのですけれど」
結局、そう言うしかなかった。
果たして、メルメ1世は笑った。
「そうだね、マリア。悪くないよ。君は王太子妃として、この1年で申し分ないくらい成長してくれたと思う」
「本当に?」
「本当だよ。君は、私が知っている中で一番素敵な王太子妃だ」
最高の賛辞だった。マリアは顔をほころばせた。
「そんなことを気にしていたのかい?」
「…だって、セルジオ様はきっとものすごく成長して帰っていらっしゃいますもの…。私、あまりに自分が成長していなくて、セルジオ様に到底釣り合わなくなるんじゃないのかって…やっぱり、気になりますわ。お帰りになったときに、がっかりされるかもしれませんし」
「そんなことはないよ。セルジオの方だって、果たしてそれほど成長して帰ってくるかどうか」
「あの年頃の殿方が変わるのは、あっという間なのでしょう?」
先程聞きかじったばかりの知識をマリアは訴えた。
「…うん、まあそうといえばそうだが」
「でしたら、セルジオ様だったらものすごく素敵になって帰っていらっしゃるに決まってますわ」
「…」
「それに、セルジオ様が、もし…」
「ん?」
言いかけて、マリアは口をつぐんだ。
「どうした?」
「いえ…」
「言いかけてやめるのはよくないよ、マリア。どうしたんだい?」
「…ごめんなさい、お父様。あの、聞くともなしに聞いてしまったのですけれど」
自分が成長したかも、セルジオ様がどんな風に変わって帰ってくるかも心配ではあったが、一番不安だったのはここだった。
「セルジオ様が…新しいお妃を迎えるとなったら…私など、霞んでしまうかもしれませんもの…」
メルメ1世は不意をつかれた。
全く、どこから噂が広まるか分かったものではない。
「マリア、それをどこから聞いたの?」
「どこって…もう忘れてしまいましたけれど」
マリアは少し目をそらした。しまった、とメルメ1世は心の中で舌打ちをする。立場上、マリアは例え誰から聞いたということを覚えていたとしても、素直に口に出すわけにはいかないのだ。その者の立場が悪くなるからである。
そういう心遣いが出来るのは良いことだが、知っていてずっと黙って一人で抱えていたのか。
「マリア、気に病ませたね。すまない」
「いいえ、そんな」
と言いつつ、目頭が熱くなってくるのは止められなかった。
「でも、私はマリアに謝らなくてはいけない」
「…どういうことですの?」
メルメ1世は溜息をついてから言った。
「選択は、セルジオに任せたんだ」
「…?」
「どこまで知っているか分からないから最初から言うと、ハイト ─ サッカルー公爵から、息女のフェルディオーレを妾妃として迎えてくれないかという要望があった。勿論、マリアとセルジオの仲の良さも知っているし、…まあ…私がネーナの死後、妃を娶らなかったこととかからして、息子のセルジオも多分そういうことを考えているのは分かるから、無理強いはしないと言っていたが。…早い話が、どうやらフェルディオーレ嬢が、何を勘違いしたかセルジオに好意を持ってくれたらしいんだよ」
「…」
マリアは、セルジオからの手紙を思い返していた。フェルディオーレのことはよく語ってあったし、仲もよさそうだった。まだ幼くはあるようだったが、そんなものは障害にならない。セルジオ自身、結婚したのは11歳の時だったのだから。
「私は、だからハイトに『セルジオに聞いてくれ』と返したんだ。あやつの好きにさせるようにと。私は新しい妃を娶らなかったが、息子にまで同じことを強要するつもりはないからね。いいことか悪いことかはともかく、判断は本人に任せたかったんだ。…分かって貰えるだろうか」
「…はい…」
理屈では、分かる。
「返事はまだ私も聞いていない。多分…セルジオは、帰ってきたら自分の口で私とマリアに伝えるつもりなのだろうと思う」
「…はい…」
「申し訳ない。マリアが知っているとは思わなかったんだ。だが、受けるならばマリアとセルジオで話したほうがいいだろうし、受けないのだったらこのままなかったことにしてしまえばいい。だから、敢えてマリアには言っていなかったのだが…すまない」
「いいえ、お父様。お心遣い、感謝いたします」
マリアは、泣かないようにするのに必死だった。涙がこぼれないように浅くはやく頭をさげ、くぐもった声で、では失礼しますと言って席を立った。メルメ1世は、止めなかった。