一年の約束
終
1.
セルジオの手紙を読み終えたマリアは、ほうっと溜息をついた。
噂のことに関しては、何も書かれていない。
意図的に書かなかったのか、それとも書きそびれたのか。
どちらにしても…正直、嫌だと思った。
20歳になったマリアは、めっきり美しく花開いていた。
金髪に近い栗色の髪を軽く結い上げ、少しすっきりとした顔の輪郭をはっきりと見せている。肌は、城に閉じこもっていない彼女を象徴するように健康的に色づいてはいたが、きめ細かく白かった。
大きな蒼い目は、相変わらず猫のようだという印象が抜けない。ただ、もう子猫のそれではなかったが。
しっとりと落ち着いた、王太子妃の雰囲気も身につけてきている。…つけてきてはいるのだが、やはり生来の好奇心とかそういったものは抑えきれずに、周りをひやひやさせることもあった。
しかしすっかり成長したものだな、と彼女の義父であるところのメルメ1世はひそかに感心していたものだった。
手紙を読み終えてしばらくした後、侍女が入ってきた。
「マリア様、そろそろ窓を閉めても宜しいですか?」
もうそんな時間なのか。マリアははっとした。
お父様とお茶の時間を過ごして、自室に戻ってきて、セルジオ様からの手紙を読み返して…。
それしか、していない。
いいとも何とも言わずにはっとしたマリアの顔を見て、侍女は不安げな顔をした。
「あのぅ?」
「どうしよう、私、何もしてなかったわ」
「…どうなさったんですか?」
「…」
何かを説明しようとし、やっぱり無理かな?と思い、上手く言えないわ、と諦める一連のパントマイムをマリアは自然にやってしまった。
「…セルジオ様からの手紙を、読んでらしたんですね」
侍女は目ざとく見つけて悪戯っぽく笑った。
「…そうなの」
くたり、とマリアはうなだれた。
侍女 ─ マリアより少し年下で、カテジナという名前だった ─ は、いいですよね、と言いながらマリアの部屋の大きな窓を閉める。実は結構な力仕事だ。
「よっ…と。ね、何か気になることでも書いてあったんですか?」
侍女にしては出過ぎた質問だが、マリアは咎めることもせずにただ溜息をついた。
「書いてなかったのよ」
「は?」
「書いて、なかったの」
「…書いて欲しかったことが、ですか?」
こくりとマリアはうなずく。
「お帰りになったら聞いてみればよろしいのでは?どうせ、あと何日もしないうちにお帰りになる予定なんですし」
それも尤もなのだが。
なるべく、面と向かっては聞きたくなかった。
何故かと聞かれても困るのだが。
しかし、実際もうすぐ帰ってくるのだ。
「お帰りになるのよね。そうなのよね」
「…どうされたんですか?」
「セルジオ様はどう変わられているのかしら…と思って」
出発したときの面影はちゃんと覚えている。
しかしあれからもう1年も経ったのだ。
どう変わっているだろう。
「あの年頃の男の子は急に変わりますからね。別人のようになっていても、おかしくないですよ」
「そうなの?」
マリアは身近に男兄弟もおらず(異母兄弟とは滅多に会わなかったので)、学校に行っていたわけでもないのでその辺には疎かった。
対するカテジナは、下に4人も弟妹がいるのでよく知っている。
「そうですとも。楽しみですね」
「…」
マリアは我が身を省みた。
少しは成長したのだろうか。
セルジオより4つも年上の自分は、ただ老けただけなのかもしれない。
「…どうしよう」
「は?」
「私、あまり変わっていないんじゃないかしら?」
「どうされたんですか、マリア様」
「セルジオ様がそんなに変わっていらっしゃるんだったら、私ももっと成長しておくべきだったんじゃないかしら?」
「…あんまり深く考えなくてもいいと思いますけど…?」
カテジナにはよく分からなかった。
マリア様は十分お美しいし、頭だって私よりずっといい。優しいし、城下での人気も高い。
それでいいんじゃないのかしら?なんだって今更そんなにじたばた悩まれるのかなぁ。
「…」
しょんぼりとマリアがうつむいたとき、別の侍女が部屋に入ってきた。もう夕食の時間だった。
「マリア、どうした。元気がないね」
食卓で、さすがにメルメ1世に尋ねられた。
「そんなことありませんわ」
「お茶の時も思ったけど、言わなかっただけだよ。どうした?」
「…どうしたわけでも…」
「セルジオからの手紙に何か書いてあったのかい?」
「…」
マリアは、ナイフを持った手を一瞬止めた。
「…」
全く。と心の中でメルメ1世は思う。マリアは、ことセルジオのことに関してはとても分かりやすい。
親としてそこまで息子を思って貰えるのは心底ありがたいのだが、ここまで思い悩むのをみるのは何となく可哀相でもあった。
「マリア。君がよければ、夕食の後話をしよう。食事どきに深刻な話をするものではないからね」
マリアはしばらくためらった後、曖昧にうなずいた。