〜前回のあらすじ〜
第三の王女は、ル・ライラ・アイルーイ。
母である妾妃のマグダレーナは、呪詛のような言葉を残して、逝った。
これからが彼女の人生の始まり。
2.
マグダレーナが亡くなったおかげで、と言っては何だが、ライラは平穏に育つことが出来た。既に何の力もない子供をいたぶるようなことは、誰もしなかったのだ。メグネットでさえ、身寄りのないライラをむしろ憐れんで、たまには世話をやいたりしている。つられて、シトラ6世もマグダレーナが生きていたころよりかは親身になってくれていた。
それでも、愛されていると思ったことはない。
その後の転機は、ライラが14歳の時になる。
城で、外国の勅使をもてなすための大きな舞踏会が開かれていた。
久しぶりに正装をし、兄弟達に会う。もっともすぐ上の異母姉、マリアはすでに隣国のクスコに嫁いでいて不在だった。
「ライラお姉様、お久しぶりです」
エルメンリーアが来て、きちんと挨拶をした。まだ11歳の彼女も、可愛らしく正装している。
「…お久しぶり」
「お姉様は、踊らないんですの?」
「私は、いいわ」
人の中に立ち交じって踊るのは、あまり好きではない。
そのとき、広間に大きなどよめきが起こった。何かと思ってそちらを見ると、
「リュウキースお兄様、エリザベラお姉様!」
エルメンリーアが歓声をあげた。広間の中央で踊り出したのは、美貌の兄弟だったのだ。どちらもメグネット腹である。
このときリュウキースは21歳、エリザベラは19歳だった。まだどちらも未婚である。
エリザベラは髪を結い上げ、非常に高価な絹のドレスを着ている。色は美しい翠色だった。彼女の薄い金色の髪と、白い肌を美事に引き立てている。
リュウキースは王子の略装である簡素なチュニックにスラックスだったが、それは彼の巧みなダンスさばきをより引き立てていた。
居並ぶ貴族達はうっとりと見とれており、未婚の娘達はリュウキースに魂も奪われるかと思うほど酔っていた。身分もあり、年も相応の男達はたいがい、王にエリザベラをもらえるよう頼んでもつっぱねられたという経験を持っており、ややほろ苦い思いでエリザベラを見ている。
その2人は優雅に、完璧に踊りあげて音楽が止んだ。
拍手が起こる中、ライラの隣にいたエルメンリーアが駆け出し、兄と姉のもとにたどりつく。
「お兄さま、お姉さま!」
「エルメンリーアか。誰かと思ったよ。きれいにしてもらったね」
「ありがとう、お兄さま」
「どこにいたの、エルメンリーア。ばあやが探していてよ?あなた明日、学校があるのでしょう?」
このとき、エルメンリーアは国立中等賢者学院に通っていたのだった。
「大丈夫ですもの。ねえお兄さま、私とも踊って」
「エルメンリーアと?エリザベラのように上手に踊れる?」
「─ がんばりますっ」
「お兄様、踊って差し上げて。私はもう疲れましたから、あちらへ戻りますわ」
「じゃあ仕方ないな。一曲だけだよ、エルメンリーア」
曲が再び始まり、エルメンリーアとリュウキースが踊り始める。まだ少し下手なその踊りは、見ていて微笑ましかった。上段に座っている王とメグネット妃も優しい顔でそれを見ている。
─ ライラはそれを、ただ黙って見ていた。
それから、バルコニーに出て一つ溜息をついた。愛されていないことを、また思い知らされた。とうに慣れてはいたが、溜息くらいはつきたくもなる。
自分にも母がいたら。兄がいたら。姉がいたら。父に愛されていたら。
今は、妬ましいという気持ちをはっきりと知ることが出来た。
それでも、どうしようもないのだ。
「あの、ライラ姫」
涙がひとつだけこぼれそうになったとき、いきなり声をかけられた。
振り向くと、ライラより少し年上くらいの男が立っていた。
「何?」
涙はきれいにおさまる。人と話しているときには、無表情になるのだ。別に、わざとしているわけではないのだが。
「姫は…踊らないのですか?」
濃い茶色の髪。同色の瞳。彫りは深いが、どことなく粗削りな顔立ち。
背は高く、がっしりしている。どう見ても文官より武官だった。
「…どなた?」
「グレン・ウッディと申します」
姫の中でもその名前を知らないのは、ライラくらいだった。一昨年引退したドーヴァ・ウッディ将軍の孫息子である。彼の父は現将軍エイブ・ウッディだった。
「王の近衛隊に最近、仕官致しました。以後、お見知り置きを」
「そうなの」
「ええ。─ あなたは、ライラ姫…ですよね?」
「そうだけど」
「よかった。人違いだったらどうしようかと」
「どうして分かったの?」
「エルメンリーア姫と話していたからですよ。聞くともなしに聞いてしまいました。申し訳ありません」
「…」
あやまられても、とライラは少し困った。
「…私と、踊ってはいただけませんか?」
「私と?」
さらに困った。ダンスを申し込まれたのなど、初めてだ。
「そうです。─ お嫌ですか?」
「嫌だなんて、そんな。でも、広間では…」
「なるほど。ではここで結構ですから」
「でしたら」
ライラは、ふわりと笑った。グレンが恭しくおじぎをし、二人は踊り出す。
先程のリュウキースとエリザベラのような華はないにしても、二人とも結構な踊り手であるには違いなかった。
ライラの薄いピンクのドレスの裾が揺れ、まっすぐな黒髪が踊る。美しい姫君なのだった。
「ライラ姫。本当に美しい…姫君だ」
「え?」
ライラは顔を上げてグレンを見た。彼は少しはにかんだように笑う。
その瞳には、確かに熱があった。
「綺麗ですよ」
「本当に?」
「勿論です。エリザベラ姫より、エルメンリーア姫より」
我知らず、グレンは決定的なことを言ってのけた。ライラはダンスをやめ、グレンに抱きついた。
「姫!?」
「私を、愛してくれる?」
あまりにも唐突な問いに、グレンは面食らった。
ライラはその蒼い瞳で、じっと見つめる。
「…」
─ ライラ。女はね、愛されなければ意味がないのよ。
母の声は、確実にライラをとらえていた。
「ええ、ライラ姫。あなたを、愛しますよ」
そして、ライラの蒼い瞳にとらえられたグレンは、そう答えてしまったのである。

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