帝王妃ソフィーダ
第三十九話

 「マジェスティーナになるには、資格がいる。これは、知っているね」
 片づけも終わり、下っ端の神官が全て居なくなったことを確認してから、ムスティールは座ったまま淡々と語りだした。
 ソフィーダはうなずく。
 「祭祀所が資格の有無を判断なさるというのは知っています」
 「うん。だがそれは、祭祀所の好き嫌いで決まっているわけではない。ジンに訊くんだ」
 「ジンに…?」
 「マジェスティーナ候補にあがった娘が果たして資格を持っているかどうか。 ─ 話途中ですまないが、そこの女奴隷は外に出してくれないか。国家どころではなく、カリューン信徒全体での機密事項だ。一奴隷に聞かせるわけにはいかない」
 「お兄様、レーゼはわたくし自身も同様です。お気になさらないで」
 遠慮して出ていこうとしたレーゼの手を握り、真剣な目でここにいろと訴えた。
 「そうか…お前がそう言うなら…仕方ないな…」
 ムスティールはあっさりと折れた。形式上言ってみたに過ぎないようだった。どうせすぐに分かる。妹の言う通りにして差し支えあるまい。
 「話を続ける。
  つまり、資格とは召喚の力だ」
 「召喚?」
 「ただの召喚ではない。カリューンに仕える者たちのことは知っているね?」
 「魔神(ジン)、鬼神(アフアリート)、魔霊(マーリド)…」
 そのくらいは、カリューン信徒にとっては常識だった。
 「それらの中でも最上位に位置する魔神の中の魔神、鬼神の中の鬼神、魔霊の中の魔霊がいる。
 それらのうちどれか一つでも召喚可能な人間であるかどうか。それが、マジェスティーナの資格なのだ」
 「魔神の中の魔神…」
 ソフィーダはくらくらとした。
 「ジンがどういう判断でそれを決めているかは分からない。分からないが、彼らがそうと言えばそうなのだ。彼らが違うと判断した娘をマジェスティーナにした場合、必ず大きな災害がカリューン信徒を襲っている。イーエンや、普通の妾ならどうということはないが…。つまり、これはカリューンの御意志なのだ」
 「…」
 「そして、召喚可能かどうか、というのは…あくまで可能不可能の問題であって、実際に召喚した場合、大体が何も出来ずに死に至ったと文献には残っている。だから、召喚はさせない。召喚のやり方どころか召喚可能という事実でさえ、歴代のマジェスティーナには知らせずにきたのだ。強大な力だし、それを以て何かされようとしても困るしな」
 「そうですわね…」
 あまりに大きな話だった。ソフィーダもレーゼも、手が震えるのを止められなかった。
 「殊に、お前は大問題だった」
 「わたくしが?」
 こくり、とムスティールはうなずいた。
 「父上はお前が生まれた時から妃がねとして大事に育てていた。それはつまり、生まれた時にすぐもう祭祀所にお伺いを立てたということなのだ。マジェスティーナになれるかどうか。
 そして、お前は予想外の結果を出した。
 普通、どれか一体でも召喚可能であればマジェスティーナにはなれる。
 だがお前は、三体全て召喚可能であるとジンは答えたのだ」
 「全て!?」
 「そんな例は千年に一度くらいしか起こらないらしい。だからお前は、千年に一度のマジェスティーナなのだ。
 断っておくが、私たちが四日かけて張ったマーリドの結界は、マーリドの中でも最も力の弱いものに頼んだのだよ。それでも神官を総動員して、それだけかかったのだ。どれだけの力か、分かるかい?」
 「…」
 実感がまるで沸かなかった。自分にそんな力があると言われても、何となくピンとこないのだ。
 しかし。
 「分かりました、お兄様」
 ソフィーダは立ち上がった。
 「三体全部、召喚の仕方を教えて下さいませ」
 「全部!?」
 「全部ですわ。どれがマジェスティを助けてくれるか分かりませんもの。…まさか、マーリドの結界のように幾日も時間がかかったり、必要なものがたくさんあったりするんですの?」
 「…いや…」
 がっくりとムスティールはうなだれた。
 「恐ろしいほど簡単だ」


 ソフィーダは召喚の間の中央に立った。
 身一つで構わない、とムスティールが言ったので特に何も持っていない。
 レーゼは部屋の隅から心配そうにソフィーダを見守っていた。
 もしかしたら、これが今生の別れになるのかもしれない。今まで召喚してきた帝王妃で、生き残った方が稀だというのだ。
 ─ でもそれでも、ソフィーダ様なら大丈夫。
 根拠はないが、そういう予感がレーゼにはあった。
 ムスティールはソフィーダと向かい合って立っている。よく似た、美しい兄妹だった。
 「目を閉じて。身体を楽にするんだ」
 言われた通りソフィーダは目を閉じ、身体の力を抜く。
 そっと、ムスティールの指がソフィーダの額に置かれた。
 細かな声でムスティールが呪文のような言葉を唱える。古い言葉で、意味は分からなかった。
 呪文につれて、身体が熱くなってくる。
 自分の中で何か、殻のようなものが割れていくのが分かった。
 「クスト・アウル・イル・カリューン…エスタ・バルク・ルー・レ・アル・マジェスティーナ…」
 ソフィーダとムスティールの回りに、空気の流れが起こり始めていた。
 「ソフィーダ」
 目を閉じたままソフィーダはうなずいた。唱えるべき呪文は、儀式の前にムスティールに教わってあった。
 「魔神(ジン)の中の魔神、鬼神(アフアリート)の中の鬼神、魔霊(マーリド)の中の魔霊。
 カリューンの御名において当代のマジェスティーナが命じる。我が前に、その姿を!」

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