帝王妃ソフィーダ
第四十四話
 それから数ヶ月後の後宮。
 レーゼは鏡の前で何度も回ってみていた。おかしくはないだろうか。
 こんなに飾りを着けたのも、こんなに上等の衣装を着たのも、生まれて初めてだった。
 ピンク色を基調としたビスチェ。が、金糸でびっしりと刺繍がされているため、ほぼ金色に見える。
 ビスチェの裾には編み込まれた金糸の飾り紐がたくさんついていた。
 スカートは薄いピンク色の布を幾重にも重ね、ボリュームが出されている。裾の方にはこれまた金糸で大きく模様が描かれている。そして、腰の部分には後ろに大きな羽根つきの布飾りがあり、スカートより長く引きずるようになっていた。
 上靴もすっかり金である。ネックレスやピアス、アンクレットやブレスレットも着けていた。
 髪の毛はすっかり結い上げられ、大きな羽飾りつきの帽子の中に隠れている。丁度玉葱のような形をしたその帽子もピンク色であり、金糸で刺繍がされていた。ごくごく薄いヴェールも巻きつけられ、右側で止められている。
 剥きだしになった肩からふわりとかけられたヴェールも美しく、こちらは銀糸でさりげない刺繍がしてあった。
 「出来たわね、レーゼ。とても綺麗よ」
 後ろから声をかけたのは彼女の女主人、ソフィーダだった。
 「でも、何だか私ではないみたいです」
 ふふ、とソフィーダは笑ってレーゼの隣に並んだ。
 「とっても綺麗よ。わたくしのレーゼも、大人になったわね」
 「ソフィーダ様…」
 フィオルナ軍を撃退した後。
 ソフィーダは一ヶ月ほど生死の境を彷徨った。一体呼んだだけでも大概はその生命力を使い果たして死に至るという者たちを、三体も呼んだのである。死なない方が不思議だった。
 レーゼやムスティール、そしてアードの献身的な看護とソフィーダ自身の強靱な生命力をもって、やっと助かったのである。
 それでもしばらくは寝台から離れられない生活が続いたが、最近やっと回復し、元の生活が送れるようになったのだ。
 その間、政界にも大きな変化があった。一の大臣、フィヤン・ガリスが死んだのである。混乱が起きない方がどうにかしていた。
 その場にいたレーゼ、ムスティールから事情を聞いたアードの驚きと落胆は限りないものがあったが、仕方がない。自らの甘さを悔いた。
 もっと驚いたのは五の大臣、ジール・ガリスである。一緒に暮らしていながら何故父の企みを見抜けなかったのか、何故食い止められなかったのかと自らを責め、しばらくは自身の屋敷で謹慎していた。
 本当は大臣の職も辞そうと思ったのだが、それを止めたのはアードの言葉である。
 「お前が居てくれないと困る。サラディンとお前と両方揃っていてくれなければ、俺はつまらなくて城下町に行く気にもなれない」
 そしてフィヤンがしていたことは隠し ─ 元々、単独で行動していたので隠すのは簡単だった ─ 、ソフィーダの代わりに魔霊にその命を捧げたと説明し、寵姫タチアナ・ディアナと共に立派な国葬を行ったのである。
 大臣は順番を一つずつ上げ、一の大臣にはソフィーダの父、リヤド・レギオンが就くことになった。なのでジールは今、四の大臣である。
 サラディンは元の通り、警察総監としてルッテル・ドナの治安を守っている。
 だが、大きな恩賞が与えられることになった。それが、今日のレーゼである。
 ソフィーダのたっての願いでレーゼは奴隷の身分を解放され、サラディンに嫁ぐことになったのだ。
 身分を解放されるということは悪いことではないはずなのだが、最初レーゼはとても嫌がった。
 「奴隷でなくなってソフィーダ様のお側に居られなくなるのは、嫌です。お願いですから解放しないで下さい」
 レーゼにはレーゼの誓いがあった。一生、心をこめてソフィーダに仕える気で居たのだ。サラディンを恋い慕う気持ちは確かにあったが、それよりもソフィーダに仕える方が先だった。サラディンもレーゼがしたいようにすればいい、無理にもらおうとは思わない、という変わり者ぶりを見せる始末である。
 が、奴隷のままではとても警察総監の正妻にはなれない。大事なレーゼを妾としてやるつもりなど、ソフィーダにはこれっぽっちもなかった。仕方がないのでとりあえず身分を解放し、結婚後は女官として王宮に住み、仕事は変わらずにソフィーダの世話をする。花婿のサラディンはレーゼの部屋に自由に通うことを許される ─ という異例中の異例を認めた上で、やっと今日の日が迎えられたのだ。
 というわけで、レーゼの支度は勿論ソフィーダの部屋で行われていたのである。
 ソフィーダは妹がいてもこれほど親身に世話はすまいというほど熱心に支度を整えた。
 甲斐あってレーゼはとても綺麗に、可愛らしく仕上がっている。
 「さあ、では行かなくてはね」
 自身も美しく整えられたソフィーダは言い、レーゼの手を引いた。


 祭祀所にある、祈りの間。召喚の間より大分狭いが、カリューンに祈るための祭壇もあり、壁や天井、そして飾り窓には綺麗な色の細かなタイルがはめ込まれて美しい模様を作っていた。
 床は勿論、磨き上げられた大理石である。
 サラディンとレーゼは並んで神官の前に跪いていた。今日ばかりはサラディンも美々しく着飾っている。
 結婚の儀を執り行うのは神官ムスティール・レギオン。立会人は帝王と帝王妃、というこの上ない結婚式だった。
 勿論、今や四の大臣となり、衣も藍から黒に変わったジールも参列している。
 ムスティールがカリューンに捧げる長い祈りを唱えている時、退屈したアードがソフィーダに囁いた。
 「これ、どこまで続いたかな」
 「まだまだですわ。黙ってお待ちあそばせ」
 「長いよなあ…。俺らの時もこんなに長かったか?」
 「長かったですわ」
 「省略しないか?」
 「今更駄目です」
 「うーん」
 アードはしばらく黙っていたが、また囁く。
 「レーゼは勿論可愛いが、サラディンも結構見られるじゃないか」
 ソフィーダは何も言わずに睨む。その目が「そんな感想は後でお言いあそばせ」と言っていた。
 「…」
 叱られた子供のようにアードはうつむく。そっとジールの方をみると、慌てて目をそらされた。肩が震えている。
 ─ 笑ったなチクショウ…。
 後でジールは思いきりどついてやろう、と決めてからアードは天井を見上げた。
 ソフィーダはそんなアードを見て少し笑う。
 この王宮に嫁いでから、数年。実に色々なことがあった。勿論、一番大きな事件はタチアナが来てからのそれだったけれど。
 つらいことや嫌なことがまるっきりないかと言われれば嘘になるけれど、帝王妃になったことを悔いたことは一日もない。
 今横にいる帝王に対する気持ちは、変わらなかった。
 ─ わたくしだけがこんなに心を奪われているなんて、ずるいわ。
 睨んだのが分かったのだろうか。アードがこちらに顔を向けた。
 少し微笑んでから、ソフィーダの手をそっと握る。
 暖かさが伝わってくる。
 「立会人、これへ。
 …マジェスティ?」
 祈りが終わり、立会人が呼ばれる。二人ははっとつないだ手を離し、何事もなかったかのように表情を取り繕ってから祭壇に向かった。


 そして、結婚式の後には盛大な宴がとり行われた。
 最近祝い事がなかったから、という理由でルッテル・ドナ全体を巻きこんだ宴だった。王宮は市民に開放され、池にあふれた葡萄酒、庭にずらりと並べられた御馳走が来るものを迎える。
 新郎新婦、並びに帝王帝王妃もバルコニーに顔を出し、そのにぎやかな幸せな宴はいつ終わるともなく続いた。
 「良い眺めですわね」
 アードと共にバルコニーから賑わうルッテル・ドナを見ていたソフィーダが晴れ晴れと言う。
 「うん」
 嬉しそうにアードは言った。人々が喜びと活気に満ちているところをみるのが、帝王としてアードの一番幸せな時だ。
 「ルッテル・ドナはよい都ですわ」
 「そうだな」
 「そして、その都を治めるわたくしのマジェスティもね」
 「え?」
 珍しく出た直接のほめ言葉に、アードは面食らった。
 ソフィーダはにっこり笑うと、アードの耳を引っ張る。
 「一度しか言いませんから、よくお聞きあそばせ」
 「何だよ」
 「マジェスティ」
 それからソフィーダは深呼吸をし、一番幸せな一言を囁いた。

それはカリューンの神の下繰り広げられ

長く語り継がれるに相応しい

美事な帝王妃の物語。

幻かもしれず

真実かもしれず

それはあなたが決めること

物語は至上の幸福のうちに幕を閉じ

美しき帝王妃レ・アル・ソフィーダの物語は、ここに終わりを告げる。

目を閉じて、再びカリューンに呼ばれるまで

あなたに安らかな眠りが訪れますように。

 

<<BEFORE        INDEX        NEXT>>