帝王妃ソフィーダ
第四十三話
 まばゆい金の光。
 魔神や鬼神のようにはっきりとその姿を表しはしないものの、その光はルクス・カリューンを中心にまとまっていく。
 その回りにはルクス・カリューンのような金属的な翼を持ち、仮面をした魔霊たちが続々と集まっていた。
 ソフィーダはそのルクス・カリューンの横に並んで浮かんでいた。
 眼下にルッテル・ドナが見える。
 魔神の活躍で湾の中にあるレスト・カーンの船は柔らかな風に護られ、フィオルナの船は暴風で滅茶苦茶になっていた。
 兵士の避難は大体終ったらしい。負傷して動けなくなったものも、他の兵士の肩を借りて懸命に避難していた。
 だが、火はまだ消えていない。魔神の力によってこれ以上燃え広がらないようになっているだけだった。
 そしてはるか彼方、岬の方に目をやると紅蓮の炎が見える。鬼神たちと四の大臣率いる兵士たちが、岬から上陸したフィオルナ軍を追い払っているのだ。もう殆どが船に乗り込むか、鬼神によって倒されている。先に船に着いたものは一刻も早く逃げ出そうと、あとから乗り込む兵士達を陸に押しやっている有り様だ。
 「ジンは風を操り、アフアリートは陸を意のままにする。私たちマーリドのことは、知っているだろうか」
 ソフィーダはうなずいた。ルクス・カリューンは左手の剣を高くかざす。
 「我が眷族達よ、最後の仕上げだ」
 数十体の魔霊たちが持つ翼がゆっくりと開く。
 「行け!」
 その言葉に魔霊たちは一瞬でかき消えた。


 「婆よ、婆よ!これはどうするのだ!?」
 ファーレンダイン王は甲板の端に必死で捕まりながら、ベヴィア・マイアに助けを求めていた。
 「お待ち下され!」
 かの婆は短く言い捨ててその身を大きな鴉に変える。
 その姿のまま一声鳴くと、あちこちのフィオルナの船から、ベヴィア・マイアのそれよりやや小さな鴉達が数十羽飛び立つ。「鴉の目」だった。
 鴉達は上空にその姿を現している魔神たちに襲いかかる。
 が、長くは続かなかった。
 海が大きくうねったのだ。
 港にいた誰もが、一瞬自分の目を疑った。
 海の向こうからやって来たのは、ルッテル・ドナ全体を飲み込もうかという程の大きな波 ─ !



 アードはまだ船にいた。
 船からも、魔神は見える。魔神にも帝王である自分は識別できるらしく、この船は殊に多くの魔神に護られていた。
 そして、王宮の方に立ち上った赤い光が岬の方に向かったのも分かる。恐らく、岬から上陸したというフィオルナ軍を食い止めてくれているのだろう。
 最後の金の光。
 聞いたことしかなかった魔霊たちが、目の前に集まっている。
 「ソフィーダ」
 彼は、そっと呟いた。
 「馬鹿野郎………」
 沖に目をやったときに見えた大きな波にも、彼は慌てなかった。慌てる理由がないのだ。
 何となれば、魔霊は海を支配するのだから。


  ジールは、サラディンとともにようやっと港に下り立ったところだった。
 父がどのような運命をたどったかはまだあずかり知らぬところだったが、ソフィーダが何をしたかは分かる。
 アードと同じく、ジールも眼前に迫った大きな波から逃げようともしなかった。
 「何が起こったのだ?」
 サラディンが問うた。ジールは何故か一度サラディンに見えないように淋しく笑った後、表情を戻して僚友に向き直る。
 「ソフィーダ様だ」
 「何故?」
 「考えてみたことはないか、サラディン。
 何故、マジェスティはマジェスティたりうるのかということを。
 これほど強大な力を持つ魔神の中の魔神、鬼神の中の鬼神、そして魔霊の中の魔霊を行使できる女性 ─ マジェスティーナが恋うるたった一人の男。
 マジェスティーナの命をかけた愛情が護る唯一の存在だからこそ、マジェスティなのだ。
 その御方を作りたもうた至高のカリューンに、讚えあれかし!」
 ジールの言葉とともに、波がフィオルナの船や鴉たちを飲み込みながら最高の高さになってやってくる。
 その波はフィオルナ軍とレスト・カーン軍のほぼ境で、壁にぶち当たったかのようにはじけ飛んだ。
 「!!」
 レスト・カーン軍がいるところには、水が細かく柔らかな霧となって降りそそぐ。火が消えていった。
 兵士達は夢でもみているのかと自分の目を疑う。
 そして、フィオルナ軍は最後まで残っていたものも全て呑まれ、返す波によって一気に海の向こうへ押し流されていったのだ。
 あとにはただ、静かな海原が残った。
 「………」
 しばらく、誰も口をきけなかった。が、
 「ば…」
 「ばんざーい!」
 「ばんざーい!!」
 「至高のカリューンに讚えあれ!」
 兵士達の喜びは爆発し、港は歓喜に包まれたのだった。


  ルクス・カリューンとソフィーダはまだ王宮の上空にいた。
 「ルクス・カリューン…ありがとう」
 ソフィーダは心から言った。
 「まだ、終ってはいない」
 「どういうことですの?」
 首を傾げるソフィーダに、ルクス・カリューンはその仮面の顔を向けた。
 「こういうことだ」
 言ってその白銀の翼を広げ、ソフィーダを連れて一気に飛び立つ。
 あっという間に港を越えた。眼前に迫ったものを見て、ソフィーダは叫ぶ。
 「ベヴィア・マイア!」
 あの波からどうやって逃れたのかは分からないが、右足のない大きな鴉が飛んでいた。
 そのかわり、左足に指輪が嵌まっている。
 ベヴィア・マイアもこちらを見つけた。最大の電撃が飛んでくる。
 が、ルクス・カリューンはそれをかわし、左手の剣をまっすぐ構えたままベヴィア・マイアに迫った。
 瞬間でベヴィア・マイアはルクス・カリューンの剣に貫かれる。
 ほんのしばらくの後引き抜くと、もの凄い断末魔の声があがった。
 鴉は元の老婆に戻りながら海へ落ちてゆく。
 災いの老婆、ベヴィア・マイアの最期だった。


 

 港の上空に戻ると、「貴婦人」ラッラ・ウルバーンに「紅蓮獣」グエユ・キーリも揃ってきていた。
 もう、ぼんやりとそれぞれの色の光に包まれていてはっきりとした姿は見せていなかったが。その他の魔神や鬼神、魔霊たちは姿を消していた。
 ルクス・カリューンが到着すると、両者は少しうなずく。
 ソフィーダは三者の中央に立つ形で宙に浮いていた。
 「さあ、マジェスティーナ。我ら召喚されし者は命を果たした。これでよいだろうか」
 ルクス・カリューンの言葉にソフィーダは恭しくうなずく。
 「魔神(ジン)の中の魔神、鬼神(アフアリート)の中の鬼神、魔霊(マーリド)の中の魔霊。尊ぶべき長老達よ。その上にカリューンの恩寵あれかし。
 我が背の君、マジェスティの危機を救っていただき、これに勝る喜びはありませぬ。マジェスティーナとして篤く御礼申し上げまする」
 三者は満足げにうなずく。
 「久々にそなたのようなマジェスティーナが現れたこと、わらわは嬉しく思います」
 ラッラ・ウルバーン。
 「思うさま暴れるのも悪くない…」
 グエユ・キーリ。
 両者は少しずつその光を色を薄め、そして消えていった。
 後には金色の光だけが残る。
 「では、私も行く。そなたはよく頑張った。帰るところに帰るといい」
 ルクス・カリューンが言うと、ソフィーダは金色の光に包まれる。
 終わったのだ。
 そしていつの間にかルクス・カリューンは消え、ソフィーダは光に包まれたままゆっくりと下に降りていった。
 「ソフィーダ!」
 下から、声が聞こえる。
 帝王妃を呼び捨てに出来るのは、このレスト・カーンでたった一人。
 ─ マジェスティ。
 やがて、甲板で待っていたアードの腕の中にたどり着く。その途端金色の光は静かに消えた。
 「ソフィーダ!」
 「─ 御無事で…」
 よかった。
 そこまでが限界だった。ソフィーダはアードの腕の中で、力なく崩れた。

 

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