帝王妃ソフィーダ
第四十一話
 ルクス・カリューンはそのままソフィーダに顔を向け、じっとしていた。
 見られているようだった。
 ─ …。
 実のところ、ソフィーダはもう立っているのがやっとという有様だったが、かろうじてまっすぐにルクス・カリューンを見る。
 身体の中から力が吸い取られていくようだった。
 「─ 私は」
 しばらくの後、ルクス・カリューンが声を発した。
 「このマジェスティーナに力を貸そうと思う。二方は、どうか」
 ラッラ・ウルバーンとグエユ・キーリは意外そうな表情を見せた。
 「真っ先にそなたがそう言うとは思わなんだが、わらわは構わぬ」
 鷹揚にラッラ・ウルバーンは言った。さすが「貴婦人」と称されるだけあって物腰に気品があふれている。
 「儂には分からぬ。このマジェスティーナは、何をしようとしているのだ?」
 「異教徒の軍がこの都に来ているそうだ。火矢まで放って都を焼いているらしい。
 それに…前線には当代のマジェスティも出陣しているとか。それを私たちに食い止めて欲しいようだ」
 ソフィーダが言うべきことを見透かしたようにルクス・カリューンは淡々と言った。
 「そのようなことで儂ら全てを呼ぶ必要など、どこにある」
 「神官は、全て動けないようだ。私の眷族を呼んでしまったのでね」
 グエユ・キーリの身体を包む炎が渦を巻いて勢いを増した。ルクス・カリューンは意に介さずやはり淡々と言う。
 「いずれにせよ、カリューン信徒の大事には違いない。それに、このマジェスティーナには迷いがない。私が心を覗いても無事なのだから。邪心があれば私が心を覗いた瞬間に息絶えている。
 私たちの力を貸してやっても構わないだろうし、少しは人間の前に姿を表すのもいいだろう。
 ─ 不穏なことを考える輩が出てきているようだから」
 「不穏なこととはなんだ」
 「私たちの力を甘く見ているということだ」
 「馬鹿な!」
 「今に分かる。グエユ・キーリ、そなたの力も必要だ。私たちは全て支配するものが違うのだから。
 それに、カリューン信徒を助けるのは私たちの役目であり、至高のカリューンとの約束事でもあるはず」
 それでもグエユ・キーリは不満そうだった。が、ルクス・カリューンが顔をちらりとそちらに向けると、かなわないというように一つ唸って、
 「………承知した。我が眷族も力を貸そう」
 どういうことなのかよくは分からなかったが、とにかく力は貸してもらえるらしい。それで十分だ。帝王を救うことが出来る。ソフィーダの顔に少し安堵の微笑みが浮かんだ。
 「さあ、ではジン、アフアリート、マーリド、当代のマジェスティーナ・ソフィーダに力をお貸し申し上げる。命を下されよ」
 ルクス・カリューンが言うと、身体から発する輝きが強まった。同様に、ラッラ・ウルバーンは竜巻に包まれ、グエユ・キーリは紅蓮の炎に包まれる。
 ソフィーダは深呼吸してから、叫んだ。
 「魔神(ジン)の中の魔神、鬼神(アフアリート)の中の鬼神、魔霊(マーリド)の中の魔霊。
 我が命に従い、マジェスティの、そしてカリューン信徒の敵を討ち滅ぼせ!!」


 前線ではフィオルナ軍が圧倒的に有利な状況にあった。
 もともと、準備も数も違いすぎる。
 しかし、サラディンの報告で遠くに見えるのは魔術のせいであり、本当は案外近いことが分かったおかげで、多少の反撃は出来ていた。兵士の心構えも違う。
 その報告をもたらした功労者サラディンはジールの船で手当を受けていた。丁度終わったところでジールが来る。
 「ジール。戦況はどうなんだ?」
 「最悪だ」
 短く言い捨て、ジールはサラディンに寄って肩を貸す。
 「この船も長くない。隣の船に移るぞ」
 「マジェスティはご無事か?」
 「多分」
 そのとき、兵士が駆け込んできた。
 「ジール様!」
 「何だ」
 「フィオルナ軍が、上陸を開始したそうです!」
 「!どこから!?」
 「湾の端、岬からだそうです」
 「…!」
 ジールは舌打ちをした。その手を失念していた。
 湾の中で派手なことをやらかし、対応に追われている間に手薄なところから乗り込む。
 逆であったら自分も同じことをしていたはずだ。
 「誰か行っているのか!?」
 「四の大臣アブル・アキーム様が最も近いところに居たので、そちらに向かっているそうですが数が違いすぎます。マジェスティからひとまず全員陸に退避せよとのご命令も出ております。お急ぎ下さい」
 「退避せよと言われても、動けない者達も大勢居る。船が沈むのは時間の問題だが、それを見捨ててゆけとマジェスティは仰有るか!」
 「見捨てるようにとはおっしゃっておりません。ただ、このままではフィオルナ軍にいいようにされるだけです!」
 「…」
 ジールはしばらく考えた。が、手はない。
 サラディンに肩を貸したまま甲板に出、思い切り叫んだ。
 「総員、退避!動けるものは動けないものに手を貸し、速やかに港に戻れ!」



 アードはそれぞれの大臣からの報告、対応に追われていた。
 側にはソフィーダの父でもある二の大臣、リヤド・レギオン以下配下の者達がきっちりと囲んでいた。まだこの船はそれほど傷んでいない。火矢も順調に消し止められていた。
 「マジェスティ、退避をお願い致します」
 「いや、まだだ。他の船の兵士達が陸に降りていない」
 「それでは遅すぎます。御身にもしものことがあってはなりません」
 「くどい。俺は逃げるつもりはない。それはそうと、祭祀所へ派遣した兵士はどうした」
 「ひとまずマーリドの結界は完成したそうですが、そのおかげで殆どの神官が使い物にならないそうです」
 「…」
 はたとアードは考え込んだ。
 魔霊の結界が完成した直後は神官が使い物にならなくなる。これは仕方がない。
 フィオルナには魔術を使う者がいる。これも仕方がない。
 ジールは「霧がかかるのを分かってきて攻めてきた」ような気がしてならない、と言った。
 では、魔霊の結界が完成する…というか、神官が使い物にならなくなるのは…?
 そこまで考えが及ぶと、アードは愕然とした。
 「マジェスティーナのたっての願いで、無理矢理神官をこちらに派遣しているそうですが。あの方のことです、どうやって脅したのでしょうな。そのような激しい気性に育てた覚えはないのですが」
 リヤドは自嘲気味に言った。こうと決めたら梃子でも動かない強さは小さい頃から変わらなかったのだ。
 が、アードの反応は予想外だった。
 「誰か、祭祀所に行け!ソフィーダが危ない!」
 「い、いかがなされましたマジェスティ。王宮には既にマーリドの結界が張られております。一の大臣もおります。マジェスティーナの御身は安全と思われますが」
 「馬鹿、それが危ないんだ!いいから誰でもいい、ソフィーダを護れ!」



 ファーレンダイン王とベヴィア・マイアは悠々と戦況を見守っていた。
 負ける戦ではない。
 霧で視界を奪い、火矢を放って混乱させ、陸から別働隊が直接王宮に向かう。
 王宮を占拠し、海と陸でレスト・カーン軍を挟み撃ちにすればあっけなく勝てる戦だった。
 さすがに魔術も効果が弱まってきており、霧は薄くなっているがもう問題はない。
 「レスト・カーンも、脆いな。妖術は使ってこないのか」
 「使わないのではなく、使えないのですじゃ。神官どもはたいがいがくたばっておる由」
 「そこまで手を回したか」
 ファーレンダイン王の言葉に、ベヴィア・マイアは不気味に笑った。
  「打つ手は打っておくものですじゃ。蛇の道は蛇と申しますでの」
  「何でも構わん。私は最愛の妃も奪われ、その妃が屈辱を受けた女に、あるまじき暴言まで吐かれたのだ。レスト・カーンくらい手に入れたところで、どうということはなかろうよ」

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