帝王妃ソフィーダ
第二十七話

 とにもかくにも夜が明けると、レスト・カーン王宮ではジールとフィヤンが政務を分担してこなしつつ、夜の準備に奔走することになった。
 宝物庫への手配、フィオルナ使者の始末、後宮への箝口令その他諸々である。
 アードはそんな中、近年稀にみる熱心さで政務に励んでいた。
 ソフィーダのことは色にも出さない。
 居並ぶ大臣たちは一体帝王に何が起こったのか不思議だったが、よもや「いつもと違ってご熱心ですが、何かございましたか」とも聞けないので、黙って各々の仕事に励んでいた。いくらアードが親しみやすい君主だからとはいえ、そんなことを遠慮なく聞けるのは、お忍びの相手まで勤める五の大臣ジール以外にはいないのである。
 一方サラディンはといえば、密かに帝王妃の行方を捜させる一方、後宮の中に寵姫タチアナを殺害した犯人もいるかもしれないということで、そちらの捜査にも余念がなかった。
 そこで役に立つのは、やはりレーゼである。
 彼から「イーエンを殺害した犯人がいるかもしれないから、目を光らせてくれ」と頼まれたレーゼは、その大きな瞳をしっかりと見開いてうなずいた。
 「分かりました。
 …そして、あの…ソフィーダ様の件は…」
 話している場所は、後宮の入口だった。サラディンはあたりを見回して誰もいないことを確かめ、更に用心の為にレーゼの耳元に口を近づけて話した。
 「今夜、マジェスティ直々にお助けにあがることになった」
 「!」
 「俺とジールもご一緒する。心配するな」
 レーゼは声を出さないようにするのが精一杯だったが、やがてドキドキとする心臓をおさえ、サラディンの腕を引っ張る。
 「?」
 「耳を貸してください」
 小柄なレーゼからすると、サラディンの耳は背伸びをしても届かないのだ。サラディンは身をかがめ、レーゼの口元に耳をもっていく。
 「私も、連れて行って下さいませ」
 「何でだ」
 「必ずお役に立ちます。必要ならば、ソフィーダ様の身代わりにだってなれます。殿方だけで、しかも身分の高い方々だけで行かれてはそうもいかないでしょう?」
 「…」
 それもそうだった。
 「お願いします。私も連れて行って下さい。是非」
 「…お前には、後宮の留守を頼もうと思っていたのだが…」
 「奴隷頭がいます。私がいないくらい、どうってことありません」
 「…では…マジェスティに聞いてみよう」
 「お願いします」
 レーゼは背伸びしていた踵をやっとおろし、にっこりと笑った。
 ここまでの会話は、全て耳打ちでされている。
 はたから見ると、「密談」というよりはむしろ「ないしょ話」に見える風景だった。

 それぞれに長い日が暮れて、やっと夜になる。
 王宮の裏手、宝物庫の近くが待ち合わせ場所だった。
 そこにはもう「鉄の馬」が三頭引き出されている。
 一見、ただのぶかっこうな馬の模型にすぎない。細工もされていない。
 ただ黒塗りの鉄がてらてらと光っている。鞍さえも鉄でできている。
 しかし、これこそレスト・カーン王宮に古来より伝わる秘宝、「空飛ぶ馬」なのだ。
 その場に来たのは五人。
 アード、ジール、フィヤン、サラディン、そしてレーゼである。
 レーゼの同行についてアードは少し眉をひそめたものの、
 「まあ野郎ばかりの空の旅というのも、なんだな」
 と言って許したのだった。
「しかしマジェスティ、その格好は……」
 ジールとフィヤンは溜息をつき、サラディンは無言だった。帝王たっての望みで「その格好」になるのを手伝ったレーゼは、単純に感心して見ている。
 「ん?どうだ、悪くないだろう」
 アードは得意顔でふんぞりかえる。
 「…」
 そこには「美女」が居たのであった。
 「…」
 濃い黒のシャツに、スカート。体型がばれないように、丈はくるぶしまでくるように調整してある。
 胸や腰にはふんだんに詰め物がされており、大変なグラマーにも見えた。
 ヴェールも黒であり、左側、つまり既婚女性側で留められている。頭には勿論鬘を被っており、その髪は腰までも長かった。
 最後の仕上げとして、元々は黒であるアードの目が、緑に変えられている。
 つまり、「鴉」に見せかけようという手段なのだ。万一レスト・カーン内で目撃者が出た場合でも、帝王その人と分からないようにという策でもある。
 長身すぎることを除けば、まず美女と言ってよかった。
 「しかしマジェスティ…。女装する必要がありますかな?」
 一の大臣フィヤンとしては、溜息が止まらない。
 「男がずかずかと乗り込んでいくよりは、怪しまれないですむだろう」
 「そうですかねえ…」
 「油断させることも出来るし。なあジール、サラディン、悪くないだろう?俺もなかなかの美女だと思わないか?」
 溜息はつくものの、ジールもサラディンももうアードのやることの大概には驚かないように出来ている。果たしてジールは言った。
 「趣味にはなさらないで下さいね」
 「惚れるからか?」
 「……………早く行きましょう」
 「はいよ。じゃなかった、はい」
 最後の「はい」は作った女声で言ってみる。
 「…それはそれとしてマジェスティ、この馬が本当に飛ぶかどうかはわかりませんぞ。なにせ、試してみることが出来なかったのですから。もし、本当に飛べば騒ぎになりますからな」
 格好のことについては諦め、フィヤンの心配は現実問題に転じた。格好は…突き詰めて言えばどんな格好をしていても構わないが、「鉄の馬」が飛ばないとなるとどうしようもない。
 「心配するな。飛ぶときは飛ぶだろうし、飛ばないときは飛ばないだろう。そうしたらまた別の手段を考えるだけの話だ。ま、少なくとも俺がダルリーヴ(王太子)だった頃には飛んだんだから、多分飛ぶだろうよ」
 「…マジェスティ?いつの間にこの馬にお乗り遊ば」
 「細かいことは気にするな。さ、行くぞ。マールザワーンは、ついてきてるな?」
 強引に呼ぶと、アードの傍らの空気がぼうっと光り、魔神が姿を表した。
 「御身の上にカリューンの恩寵と平安がありますように」
 ここに来る前に祭祀所に寄り、ムスティールから託された魔神だった。レーゼなどにとっては見るのが三回目となり、馴染みになったマールザワーンである。ちなみに、アードの目の色を一時的に緑に変えたのは、この魔神の力であった。
 彼の姿を確認すると、アードたちはそれぞれ「鉄の馬」に乗り込んだ。
 もっとも「鉄の馬」は三頭しかないので、レーゼはサラディンと一緒に乗ることになったのだが。
 「では行って来る。留守番を頼む」
 その場に残ったフィヤンは、諦めたようにうなずいた。
 そして、あれこれと「鉄の馬」をいじっていたジールが、
 「マジェスティ、これはどうやって動かすのですか?」
 「とりあえず、左耳の下にあるねじを巻いてみろ」
 「こう…ですか?」
 ねじを巻いた瞬間「鉄の馬」は跳ね上がり、宝物庫の屋根を越した。
 「ははは、巻きすぎだ、ジール!」
 言ったアードもすぐにねじを巻き上げ、ジールを追いかける。
 その後にサラディンとレーゼも続き、マールザワーンも勢いよく飛び立った。

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