帝王妃ソフィーダ
第二十三話

 タチアナとレーゼを残してひとまず後宮を後にし、帝王の書斎に戻った帝王以下ジール、サラディン。
 しばらくして、一の大臣フィヤン・ガリスが到着した。
 「お呼びと伺いました、マジェスティ」
 「おお、夜中にすまんな。フィヤン」
 「マジェスティのお呼びとあらば。どうなさいました?」
 そこで、息子であるジールが事のあらましを手短に説明した。
 「なんと、マジェスティーナが」
 「そういうわけで、『鴉の目』について詳しいことを聞きたいのだが」
 「詳しいこと、ですか…そうですね…。噂はきいたことがございますよ。なんでも特別な魔術を使うことで、遠くの国へも容易に行けたとか行けないとか」
 「…ということは、攫われたソフィーダは既にフィオルナ国内にいるかもしれんということか?」
 「…かも、しれませんな」
 「しかし何だってソフィーダを攫うんだ?何か意味があるのか?」
 「相手の意図が奈辺にあるのかはっきりしたことは分かりませんが。レスト・カーンのマジェスティーナならば、どのようにでも有利につかう手はあると思われますな」
 「…タチアナに吐かせないと分からんということか」
 アードは苛々と机を指で叩いた。しばらく考えていたフィヤンはやがて、
 「マジェスティ、お許しがいただければ『鴉の目』について、王宮書庫にて調べてきたいと思うのですが…」
 「許す。行け」
 フィヤンは恭しく頭を垂れた後、その場を去った。ジールとサラディンはその場に残る。
 「…ジールは行かないのか?」
 「差し支えなければ、マジェスティのお側に居させていただいた方がよろしいかと思いまして」
 「サラディンもか」
 「…はい」
 「何故だ?」
 「あなた様が心配だからです。僭越ながら、伊達に毎回お忍びにつきあわせていただいている程ではありませんから」
 「…」
 アードは書斎の椅子に座ったまま、行儀悪く前後にゆらゆらと揺れた。
 ジールとサラディンは、机の脇に立ったままアードを見つめる。言い様のない重い沈黙が、書斎を支配していた。

 「…レーゼはまだかな」
 その沈黙を破り、しばらく…も経たないうちに苛々とアードが呟く。
 「まだ、いくらも経っておりませんから」
 「呑気だなジール」
 「これでも、頭の中では色々と考えているのですよ」
 「ふぅん」
 ややためらった後、ジールは言った。
 「…正直に申しまして、驚いているのです」
 「何でだ」
 「マジェスティーナのことを心配なさるのは分かります。しかし、あれほど寵愛篤かったイーエンにああも乱暴に食ってかかられるとは思い及びませんでしたので。
 と言いますか、これほど御心が乱れるとは思いませんでした」
 「意外か」
 「…率直に申しまして。いつものマジェスティなら、これだけの事態でも落ち着き払って軽口の一つでも叩かれるものだと」
 「うるさいのがちょっと居なくなるのも悪くない。すぐ何とかなるだろう…とかか?」
 「無礼を許していただけますならば、そのようなところですかね」
 「…」
 アードは、ジールをちらっと見やってからもう一度視線を戻し、苛々と爪を噛んだ。
 「…お前らに、俺の気持ちが分かってたまるか」
 「と、申しますと?」
 「だいたいだ!」
 ついにアードは椅子を蹴って立ち上がった。
 「あれより綺麗な女は多分いる。可愛い女もいる。頭のいい女もいるだろう。床上手な女もいるだろうさ。
 だがな、あれより綺麗でも、同時に可愛くて頭がよくて床上手な女はいないんだ!
 分かるか、俺はマジェスティなんだぞ?女なんかよりどりみどりなんだ。さあこれから理想の女を探してやろうと意気込んだ途端、一番最初に一番理想に近い女を引いた空しさなぞ、お前らに分かってたまるか!」
 ジールもサラディンも、呆気にとられた。唾を飛ばして言いたいことを言ったアードは、肩で息をしている。
 「…ソフィーダ様にお聞かせしたいものですね」
 「言ったらぶっ殺す」
 帝王としては、洒落にならないことを即答する。ジールは首を振り、サラディンと顔を見合わせた。

 その後、タチアナから話を聞いたレーゼがもたらした情報は、アード以下全員を仰天させることになる。
 「…今、何と言った?レーゼ」
 「…ですから、イーエンは元々、フィオルナの王妃だった、と…」
 帝王の書斎を、言い様のない沈黙が襲った。
 「なあ、ジール。これはどのくらいやばい問題かねえ」
 「聞かなかったことにしたい程度にはまずい問題かと思われますね」
 フィオルナの王妃が、「婿である王が嫌だった」という理由で海賊に売られるがまま、外国の寵姫となる。戯曲か何かの中での話だと思いたいところだ。
 「思い切ったものですね。フィオルナの王妃がカリューンに帰依するとは。…ま、それだけ至高のカリューンが偉大だということともとれますが」
 ジールがある意味感心したというようにうなずきながら言った。アードは溜息をつく。
 「まあいい、それでその婆がいる場所は知らない、とタチアナは言うんだな?」
 「御存じないようです」
 「…使えないな…」
 先程のアードの発言を聞いていたジール、サラディンはともかく、レーゼは吃驚した。
 あれほど寵愛篤かった寵姫に対し、このような暴言など全く意外という他なかった。
 そして、溜息まじりにジールが続ける。
 「しかし色々とやってくれたものですね、イーエンは。まず、立派に重婚ではないですか」
 「それは別にいい」
 「いいんですか?」
 「俺のポリシーには反しない。未婚だろうと既婚だろうと、とにかく理想に近けりゃいい」
 「…そうですか」
 色々と言いたいことはあったが、ジールは我慢した。
 「しかし、その他のところは許せないわけでしょう?」
 「当たり前だ」
 「ならば当面やることは決まりましたね」
 「何をする?」
 「まず、私は書庫にいる父のところへ行き、『災いの老婆』とやらについての記述がないか探してみます。それから、最近のフィオルナについての情報も。サラディンは後宮に行き、イーエンを軟禁したのち、引き続き『鴉の目』の捜索です」
 「俺は?」
 「マジェスティにはしばらく身体を休めていただきます。もうすぐ夜も明けます。朝の政務のお時間まではおやすみ下さい」
 「馬鹿言え、眠れるか」
 「眠れなくても身体を休めていただきます。私やサラディンの代わりはおりますが、マジェスティの代わりはいらっしゃらないのです。すぐに解決することとは思えなくなってきた以上、休めるときに休んでいただかねばなりません」
 「…」
 正論だった。
 今日はよくジールに説得される日だな。
 …大きく溜息をついた後、帝王はうなずいた。

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