帝王妃ソフィーダ
第二十一話

 祭祀所へ向かう途中、ジールが後ろにいるレーゼをちらりと見やってから言った。
 「先程言いませんでしたが、あの奴隷に関してはもう一つ可能性があります」
 「なんだ?」
 アードは前を向き、大股でずかずかと歩いている。
 「あの奴隷も、マジェスティーナの誘拐に一役かっている、という可能性です」
 「…つまり、レーゼの手引きで今回のことがなしえたっていうわけか?」
 「あくまで可能性ではありますが」
 「それはありえないな」
 「何故です?」
 「ソフィーダが長いこと傍近く使ってた奴隷だから。それだけだ」
 ジールは一瞬あっけにとられたがそれ以上は何も言わず、アードのはやい足取りについていった。

 祭祀所の下位神官から、五の大臣がお呼びです、と起こされたムスティールは訝りながらもひとまず自分の執務室に通すよう伝えると、自身の身なりをきちんと整えてからその場に向かった。
 着いてみて息を呑む。
 執務室にある長椅子に、五の大臣…も居るには居たが、その横に座っているのは帝王アード・アル・レストその人ではないか。
 おまけに、その足下にひざまずいているのは…確か、先日妹とともに祭祀所を訪れた女奴隷。
 どうやら妹の身になにかあったらしいということまでは、ムスティールも感づいた。 緊張がみなぎる。
 「夜中にすまないな、ムスティール」
 「御身の上にカリューンの恩寵と平安あれかし。
 ─とんでもございません、マジェスティ。如何なさいました?」
 「まあ、座れ。あ、お前の上にもカリューンの憐れみがあるように」
 きっちりと神官らしく口上を述べたムスティールだったが、帝王からはとってつけたような返され方をされてしまった。
 珍しい。
 ムスティールは、向かいにあった椅子に腰掛けた。
 アードが軽くジールを見やって促す。意を受けたジールが、口を開いた。
 「単刀直入に言います。 先程、マジェスティーナが何者かに攫われました」
 「!」
 そしてジールは事件について手短に話し、
 「ひとまず犯人の残留品として残っているのは、この鴉の羽だけです。これをもとに、犯人についてジンに訊いて欲しいというのが、マジェスティの御意志です」
 「なるほど…」
 ムスティールはしばらく考え込む。
 「どうした?何か思い当たるところでもあるのか?」
 アードの問いに、ムスティールは思い出すように苛々とした感じで答えた。
 「鴉の羽、が犯人の残していったものだとしたら、思い当たるふしはひとつだけあるのです。ただ、それがどうしてマジェスティーナの誘拐につながるのかが分かりかねるのです」
 「どういうことだ?」
 「フィオルナです」
 「フィオルナ?」
 ふってわいたように出てきた外国の名前に、アードとジールは揃って声をあげた。
 湾を挟んで向かい合う国、フィオルナ。異なる神を奉じていることもあり、確かに昔から仲はよくなかったのだが、ここ最近はこれといったもめ事もなく…というよりはお互い積極的に関わることもなかったはずである。
 「…ジール、最近フィオルナと何かあったか?」
 「いいえ、別に」
 「…俺も覚えが無い。で、ムスティール。そのフィオルナと鴉の羽はどういう因果関係があるんだ?」
 「確かとは申せませんが。確かフィオルナに『鴉の目』なる組織が存在したと思うのです。王宮付きで諜報や暗殺を行う…要するに裏で活躍する組織です」
 「なるほど。そういえば聞いたことはあるな…」
 アードもジールも考え込んだ。確かにそう考えると『鴉の目』の仕業、ということもありそうな気はする。しかし、なんだって今、フィオルナなのだ?
 「確かとは申せません。ここはやはりジンに尋ねた方が宜しいかと」
 考え込んでいる暇はない。ムスティールの言葉に2人はひとまず考え込むのを止め、立ち上がった。

 召喚の間。
 ムスティール以外の3人は滅多に訪れることがない場所だった。
 広すぎるこの部屋は、とてもすぐに部屋の全部の燭台に明かりを灯すことなど出来ない。
 レーゼの手の中にあるのとムスティールの足下に置かれている手燭が、今この召喚の間を照らしている全てだった。闇夜なので月明かりも入ってこない。
 ムスティールは3人を少し下がらせ、以前ソフィーダの前でしたように魔神を召喚した。
 レーゼは一度見たことがある。あどけない少年の様相をしている魔神、マールザワーン。
 「ジン、汝、名前は何か」
 「マールザワーン」
  前の時と同じようにあっさりと魔神は名乗り、くるくると召喚の間を旋回して戻ってきた。じっとしていられない性質なのである。
 暗いところで見ると、魔神の身体はぼうっと青く光って見える。おかげで明かりが少なくても見失うことはなさそうだった。
 「さて、マールザワーン。時間がないので単刀直入に聞く。そなたは今夜後宮にて起きたことを知っているか?」
 マールザワーンは首を振った。
 「僕は今日後宮のあたりにはいなかったから。知らないよ」
 「ではこれを見てもらおう」
 ムスティールは懐から鴉の羽を取りだした。
 「…?…」
 しばらくマールザワーンは近寄ったり離れたりして、鴉の羽をまじまじと見ていた。
 「鴉の羽。だけど鴉の羽。じゃないね」
 「どういう意味だ?」
 「鴉から自然に抜け落ちた羽じゃない。ええと、なんていうかな、色んな力を感じる」
 「それから?」
 「それ以上のことは、僕には分からないな」
  いたずらっぽく言うと、マールザワーンはぴょんぴょんととんぼ返りをうつ。
 「もう一度言う。時間がない。そなたの主、ジンの中のジン、『貴婦人』の名にかけても役に立つ情報を話してもらおう」
 ぎょっとした顔でマールザワーンは一瞬硬直する。
 「…まさかあなたが『貴婦人』を軽々しく持ち出すとは思わなかった。びっくりだ」
 「それだけの事態だということが分かって貰えれば何よりだ。さあ、何かないのか?」
  ムスティールも必死だ。可愛い妹の命が懸かっている。彼に任せるしかないアードたちも固唾を呑んでなりゆきを見守っていた。
 「…そうだね…今日のことと関係あるかどうかは分からないけど、最近後宮のあたりで、たまに嫌な空気を感じていたよ」
 「嫌な空気?」
 「異教徒の空気」
 「フィオルナか?」
 「そこまでは分からないけど。この国のものじゃなかったね」
 その時、レーゼが小さく息を飲んだ。
 「どうした、レーゼ」
 聞きつけたアードが尋ねる。
 レーゼは蒼白になりながら言った。
 「勘違いでしたら、お許し下さいませ。
 後宮には一人だけ、外国の方がいらっしゃいます……………」
 「!!!!」
 寵姫タチアナ。
 鴉の羽に、糸がつながりつつあった。

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