帝王妃ソフィーダ
第三十話
上では、サラディンとジールの奮戦が続いていた。
サラディンはレスト・カーンきっての剣の使い手であり、ジールも人並以上の使い手ではあったが、さすがに二対多数はつらい。また、とりかこまれるのを防止するため背にした、灯台の火の熱も侮れなかった。
 そのとき、兵士の一人が「鉄の馬」に駆け寄るのが見える。
 「!」
 それをとられたら万事休すだ。視線の端でとらえたジールはちっと舌打ちし、今戦っていた相手を蹴り倒して向かおうとするも、新たな敵が来てしまう。
 しかし、「鉄の馬」に駆け寄った兵士は、全く弾かれたようにもんどりうって転がった。
 何度か試すが、その度に転がされてしまう。
 ジールは一瞬にして思い当たり、唇の端でわずかに微笑んだ。
 魔神、マールザワーンだ。
 かの者の援護があるとすれば心強い。
 「ジンよ、我が道を作り給え!」
 途端、ジールと戦っていた敵が何かに捕まれたように放り投げられ、「鉄の馬」との間に一瞬道が出来る。
 迷わず駆けよって「鉄の馬」に飛び乗り、左耳のねじをまく。
 馬は駆け上がり、
 「サラディン!」
 呼ばれたサラディンも理解し、こちらは自力で敵を押しのけて「鉄の馬」に飛び乗った。
 「卑怯者、逃げる気か!?」
 フィオルナの兵士が叫んでいる。
 「逃げはせんよ。ただ、数が多くなってきたから鬱陶しいんだ」
 ジールは遠くには行かずに涼しい顔で言い返すと、今度は小声で、
 「いるんだろう、マールザワーン」
 「勿論。五の大臣」
 マールザワーンは姿を消してはいたが、すぐ近くにいた。
 「確か、ジンは風を操ると思ったが」
 「よく知ってるね」
 「このくらい知らんようでは大臣など勤まらん。何をして欲しいか、分かるな?」
 「はいよっ、こうかな?」
 言うが早いが灯台に向けて突風が吹く。灯台の火が傾き、何人かが火傷を負った。
 「こうした方が、効率がよかろう!」
 ジールはさも自分がやったかのように叫ぶ。
 「おのれぇ…!」
 兵士達はてんでに弓矢を持って射掛けてきた。が、当然マールザワーンが全て矢を反らし、ジールとサラディンには一本も当たらない。
 余裕を持って眺めているジールの目に、隊長らしき男が下から来た兵士に鍵を渡すのが見えた。


 レーゼは更に、
 「あの、マジェスティーナは確かにこの中にいるんですよね?」
 残った兵士に話しかけた。
 「ん?」
 「レスト・カーンには妖術使いが多いと聞きます。本当に、いるんですよね?」
 念を押す。
 「王妃が妖術使いとは聞かなかったが…」
 「分かりませんよ?」
 「ううーん…」
 兵士は扉の隙間から中を覗こうとした。が、暗くてよく見えない。
 「あっ!?」
 背後でレーゼが声をあげた。
 「どうした?」
 「あ、あれっ!」
 レーゼの指さした先、階段の方には人がいた。暗くてよく分からないが、レスト・カーンの格好をした女のようだ。
 「ん?お前の仲間じゃないのか?」
 「レスト・カーンに行ってたのは私だけです」
 「え?」 
 迷っている間に人影は、ひらりと身を翻して下に駆け降りて行ってしまった。
 「ま、待て!」
 本能的に逃げるものを追っていく兵士。
 レーゼは勿論動かない。
 その間に、先ほど鍵を取りに行った兵士が帰ってきた。絶好のタイミングだ。
 「あれ、奴は?」
 「先に下に行かれました」
 嘘はついていない。
 「そうか、ほら、鍵だ。急がなきゃならないんだろ」
 「ありがとうございます!よかった…」
 レーゼは急いで鍵を開け、重い扉に身体全体を預けた。
 部屋の中に明かりが差し込む。
 まぶしそうにこちらを見たのは、紛れもなく帝王妃ソフィーダその人だった。
 ─ ソフィーダ様。
 無事でよかったと思うものの、当然まだ気は抜けない。
 幸いまだソフィーダは目がなれていないらしく、レーゼの顔をはっきりと認識したわけではなさそうだ。
 「レスト・カーンのマジェスティーナ。貴女を別の場所に移すことになりました。大人しく従われよ」
 急いでレーゼは言った。
 その声を聞いて、一瞬ソフィーダの表情が変わる。が、心得たように、
 「わたくしをどこへ移すというの?何かあったの?上が大分騒がしいようだけど」
 「つべこべ言うな、黙って来ればいいんだ」
 レーゼが何か言うより先に横の兵士が言い、ソフィーダの手を乱暴に掴んだ。
 が、鈍い音とともにその場に崩れる。
 「汚い手で人の女に触るなよ」
 いつの間に戻ってきたのか、そこにいたのは帝王その人だった。
 「よう、ソフィーダ」
 ソフィーダは思わずまじまじと自分の夫を眺めた。
 何故女装しているのか、何故瞳が翠色なのか、どうやって来たのか、どうしてここだとわかったのか。
 そんなソフィーダを見てアードはにやりと笑い、重ねて言った。
 「帰るぞ」
 その台詞で、全ての疑問が済んだ。
ソフィーダも笑う。
 「はい」



 三人はそのまま塔の上に向かった。
 ソフィーダはきちんとヴェールをつけている。レーゼが用意してきてくれたのだ。
 「相変わらず気が利くのね。ありがとう、レーゼ」
 「いいえ。そんなこと…」
 「おい、上に着くぞ」
 悠長なやり取りを、珍しくアードがたしなめる。上はえらい騒ぎになっていた。
 あちこちに血しぶきが散っている。兵士達も忙しく駆け回っていた。風も強く吹いている。
 「なんだなんだ、おっかないな」
 アードが呟くと、レーゼが素早く前に出てソフィーダとアードと庇った。
 「何だ、お前達は」
 「鴉です。こちらが苦戦していると聞き及びましたので」
 レーゼが言い張る。おまけに、ここぞとばかりに緑色の瞳をみせつけた。
 「おお、ならば魔術が使えるな。早くあの妖術使いどもを何とかしろ。これではどうにもならん」
 「妖術…?」
 そちらを見ると、ジールとサラディンが「鉄の馬」に乗って灯台の回りを旋回している。
 ははん、そういうことか。
 「分かりました、お任せを」
 ひとつうなずくと、アードはレーゼとソフィーダの腕を掴んで一気に灯台の縁に走り寄り、
 「せーのっ!」
 いっそ鮮やかなほど勢いよく、飛び降りたのだった。

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