帝王妃ソフィーダ
第二十八話
  アード達は順調に「鉄の馬」を駆って、マルク灯台に向かっていた。
 ルッテル・ドナなど疾うに過ぎ、海を越えて進んでいる。あまりの速さに、レーゼなどふらふらしていた。
 「なんて速い……」
 「下を見るな。目がくらむぞ」
 サラディンの逞しい腕の中にすっぽり収まりながら、レーゼは小さくうなずいた。
 意外であったのが、魔神であるところのマールザワーンだった。「鉄の馬」についていくのはそう余裕しゃくしゃくというわけにはいかなかったのである。
 「随分面白いものをお持ちなんだねえ、マジェスティ」
 「そうだろう。羨ましいか」
 「羨ましくなんてないけどさ」
 言いながらマールザワーンは、頑張って何度か回転してみせる。
 「マルク灯台に着いたら、どうするつもり?」
 「あまり考えてない。何とかなるだろう」
 「無茶言うなあ…」
 「お前が居るんだから、何とかしてくれるんだろう?」
 アードはにっこり笑った。
 「…ずるいなあ…。僕は命によって、あなたを必ず助けなきゃいけない。まあ、命がなくてもカリューンの神に誓って、マジェスティをおろそかにするわけにはいかないけど。マジェスティーナもね。
 しかしそうなると、マジェスティはあの神官にも読まれてるってことか」
 「どういう意味だ?」
 「あの神官、『マジェスティのことです。多分、良くて出たとこ勝負でしょうから、頑張ってくださいね』ってさ」
 「…」
 「ま、もうすぐマルク灯台だよ。どうするか、決めてね」
 目の前には、灯台が放つ光があった。王宮を出て一時間と経っていないのに、徒歩や船を合わせて三日はかかろうかという灯台に、はやアード達はたどり着こうとしているのだった。


 「鉄の馬」の高度を下げるには、右耳の下にあるねじを回す。
 アード達はひとまず着地はせず、高度を下げて様子を見ることにした。勿論、灯台の明かりからは隠れるようにしている。
 灯台なので見張りが居るのは当たり前なのだが、それにしても数が多い。おまけに灯台の近くだからかなのか、近くに停泊している船が多かった。
 「思ったよりでかい灯台だな。灯台っていうより砦じゃないか?…で、マールザワーン。ソフィーダがいるかどうか、分かるか?」
 「分かるよ」
 幼さの残る顔立ちの魔神は、あっさりと言った。
 「聞かれなかったから言わなかったけどさ。これでいなかったらあなた達どうするのかなあって、考えてたんだ。ふふっ」
 「いるのかどうかと聞いている」
 とんぼがえりをうつ魔神を、アードは声で制した。 
 「…怖いなあ…。居らっしゃるよ。あの窓の向こうに、気配がする」
 灯台の上の方にある、小さな窓。その奥に広がる部屋に、ソフィーダがいるらしかった。
 「けちくさい窓だな」
 「ここから行って窓をこじ開けて…というのは無理そうですね。となれば、下から進入を試みて同じく下から脱出する。あるいは、下から進入を試みてあの窓を抜け出して脱出する。あとは、灯台の火が焚かれている部分から進入するというパターンが考えられますね。どうしますか、マジェスティ?」
 灯台の上では煌々と火が焚かれている。屋根と柱だけがあり、壁はないので進入は比較的容易にみえた。
 ジールの言葉に、アードはしばらく考え込む。
 「上から進入するとなると、必然的に荒事になるよなあ」
 「おそらく。見張りをまず殺さないといけませんから」
 「それは…出来れば避けたい」
 さすがは稀代の名君、余計な殺生はしたくないということか、これぞカリューン信徒の長我らがマジェスティ ― と思われる間もなくアードは次の台詞を吐いた。
 「めんどくさい」
 「…」
 「下の入口から堂々と入る手段はないもんかね。なるべく怪しまれずに。なあ、マールザワーン、あの灯台の中には何人くらいいるのかね?」
 「そうだねえ…なんだか人数が多いよ。百人は居そうだ。あと、なんだか嫌な雰囲気がする」
 「嫌な雰囲気?」
 「うん。後宮で感じたのと似たような…」
 「鴉か?」
 「ああ、かもしれないねえ」
 「なるほど。
無理を承知で聞くが、お前があの中に入ってソフィーダを攫って帰ってくるっていうわけにはいかないか?」
 「いかないね。なんか、へんな結界みたいなのが張ってある。異教徒の力で」
 「んじゃあ、行かざるをえないか………」  
アードが考え込むと、珍しくサラディンが口を開いた。
 「マジェスティ。私が上から入り、囮になりましょう。注意を惹きつけている間に、下からお入り下さい」
 「そんなわけにはいかないだろう。相手は百人いるとか言われたんだぞ?」
 「時間稼ぎ程度は出来るかと」
 「うーん…」
 さすがにアードも考え込んだ。が、他に策はない。
 「サラディン一人では手に余るかもしれません。私も行きましょう」
 ジールも申し出た。荒事になるのを予想して持ってきていた剣が役に立ちそうだ。
 「お前、剣が使えるのか?」
 「嗜み程度には」
 「んじゃあ頼む。あとは…マールザワーン、お前は砦の中に入れないのなら、ジールとサラディンの援護をしてくれ」
 「そっちなら。お言葉承り、仰せに従います。マジェスティ」


 マルク灯台入口。明々と火が焚かれ、兵士が二人立っていた。
 アードとレーゼは近くの木立に鉄の馬を隠し、ジールとサラディンが灯台に侵入するのを確認してから近づいた。
 「何者だ」
 やはり門番に見咎められる。さすがに、門番まで上の騒ぎにはひっぱられないようだ。
 「レスト・カーンより今戻りました。入れて下さいませ」
 マールザワーンによりアードと同じく瞳を緑色に変えたレーゼが、哀願するように言った。アードは黙っている。いきなり声でばれてもつまらない。
 「鴉か。ご苦労。王は中におられる」
 ― 王!?
 レーゼもアードも、声をあげるところだった。この者達が「王」と呼ぶからには、フィオルナ王に違いない。しかしなんだって、フィオルナの王ともあろう者がこんな灯台にいるのだ?
 が、立ち止まるわけにもいかないので二人は軽く一礼して中に入ることにした。



 中は石造りの上に海が近いとあって、じめじめして嫌な感じだった。
 どことなくカビ臭い。
 ジールとサラディンの囮が功を奏しているのか、今のところ誰もみかけなかった。
 「…どっちに行ったらいいのかねえ」
 アードがレーゼに耳打ちする。
 「とにかく、上に行く階段を探しましょう」
 あたりを見回し、奥へと進む。
 通路は二人が並んで通れる程度の広さはあり、篝火も焚かれていたので、歩くのに不自由はしなかった。
 アードは意識して女性の歩き方をしている。案外疲れる。長身を誤魔化すために、ややかがんでいるのもその理由の一つだ。
 「…はどうした」
 「まだ殺してはおりませぬ。上におりますじゃ」
 そのとき、二人の耳に声が入った。
 通り過ぎようとした扉の奥から、声がする。
 「…」
 二人は顔を見合わせた後、どちらからともなく扉に耳を当てた。  

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