帝王妃ソフィーダ
第十六話

 サラディンからの報告を面白くもなさそうな顔で聞いていた帝王は、報告が終わると実に嫌そうに口を開いた。
 「それで終わりか?」
 「…は?」
 「報告。もっと俺に言いたいことがあるんじゃないのか?」
 「終わりですが…」
 「何でだ。俺が珍しく勤労意欲に満ちているときに。もっとなんかこう、報告をため込んでいるだろう。普通」
 「…」
 サラディンは黙って頭を垂れる。
 アードはがっかりして、
 「こういう時、ジールだったらつきあってくれるんだがな…」
 ジールは、タチアナの懐妊を聞くやいなや祭祀所にゆき、戻ってきてからは型どおりに仕事を片づけ、帰ってしまったのだ。この時のアードから言わせれば、「薄情な奴」である。
 「…申し訳ありません」
 「いや、お前は悪くない。俺が悪かった。すまん。今日はちょっとなんというか、気分が複雑でな」
 そういえば、とサラディンは思い出した。
 「イーエンが懐妊されたよし、おめでとうございます」
 祝辞を述べると、ますますアードの表情が複雑になる。
 「そうなんだよなあ。懐妊しちゃったんだよなあ。
 誰か嘘だって言ってくれないかなあ」
 「…?」
 「………すまん、俺が悪かった。とりあえず…逃げ場がないのは分かった気がする。ご苦労、下がってよい」
 サラディンはよく分からないままに、一礼して謁見の間を出た。

 さて、と気合いを入れ直してアードが向かった先はタチアナの部屋である。
 もう夜も遅かったが、アードが行くことはちゃんと伝えさせたのでタチアナはきちんと起きて待っていた。
 「マジェスティ」
 いつもであったら満面の笑みで、駆け寄って抱きつくくらいのことはするのに、今日は大人しい。
 それが逆にアードをほっとさせた。
 とりあえず長椅子に腰掛け、タチアナを隣に座らせる。
 「…あの」
 「…はい」
 それからなんと言ったらいいのか言いあぐんでいるうちに奴隷が来て、いつもアードが飲む果汁の入ったグラスを持ってきて、置いて、下がっていった。
 「…懐妊…したそうで…なんて言ったらいいのか…その…おめでとう?」
 いつものアードからは考えられない歯切れの悪さだった。
 「ありがとうございます、マジェスティ」
 「うん」
 と言ったきりまたアードは黙ってしまった。
 「…あの」
 今度は遠慮がちにタチアナの方が口を開く。
 「マジェスティは、嬉しくはないのでしょうか…?」
 「や、そんなことはない、そんなことはないんだ。なんていうかこの、実感というやつが。なんて言うか、服を脱ぐ前に風呂に入ってしまったような妙な感じなんだ。すまない」
 言いながらアードは、タチアナを抱き寄せた。
 タチアナはそれだけで幸福感に包まれる。
 ─ やはり私は、マジェスティのおそばに居たいわ。
 ファーレンダイン王やベヴィア・マイアのいるフィオルナには帰りたくなかった。
 「その…体を大切に、な」
 アードは抱き寄せてそんなことを言いながら、息をついていた。少なくとも抱き寄せていれば、表情を見られずにすむ。
 「ありがとうございます、マジェスティ」
 「いや…それで、ソフィーダにはもう…?」
 話したのは聞いていたのだが、一応確認が取りたかった。
 「はい。お話させていただきました」
 「で、なんて言ってた…?」
 「吃驚なさったようですけれども、特にお怒りになったとかそういう様子はなくて、優しい言葉をかけていただきましたわ」
 「…そうか…」
 そういう感じが一番怖い。
 「とにかく、俺にとっては初めての王子…だか王女だかわからんが、子供だから。風邪とかひかないように。な」
 「はい。…あの」
 「ん?」
 「今日は…マジェスティーナの所に行ってさしあげてくださいまし」
 タチアナにとっては賭けの一言だった。
 本当は帝王妃の元になど行って欲しいわけがない。こういうときだからこそ、そばに居て欲しかった。わざと逆のことを言ってのけたのである。
 果たしてアードは、
 「そ、そうか?うん、あやつの機嫌もとっておかないと、これから先なにかとお前もつらいかもしれないからな。一緒に居たいけど仕方ない。ごめんな」
 タチアナのその言葉を待っていたかのように立ち上がり、中身のないキスをして去っていったのである。
 「…」
 砂をかむような思いが、タチアナを腐食していった。

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