ソフィーダの部屋。
奴隷の少女が入ってきて、ソフィーダの足下にいたレーゼに耳打ちし、一礼し て下がった。
レーゼがひとつうなずくと、ソフィーダの周りにいた奴隷達もみな下がる。
広すぎる部屋には、ソフィーダとレーゼだけになった。
そうなってから初めてレーゼが口を開く。
「ソフィーダ様。読み通りだったそうです」
「やはりね」
ソフィーダはうなずく。
「マジェスティも面白いほどパターンが変わらないわね。負けた後は、気晴らし」
「気晴らしばかりなさってるような気もしますね」
「そうね」
ソフィーダはうなずいた。
この2人は帝王に対して全く容赦がない。
勿論、レーゼ以外の人間がこんなことを言ったら即打ち首にされても文句は言えないところだが。レーゼにしても、帝王妃であるソフィーダに気にいられているという特別のことがなければ、ただの奴隷である。
「ジールとサラディンも一緒ね?勿論」
「そのはずです。ジール様もサラディン様もマジェスティの寝室に呼ばれていたそうですから」
「ふぅん…」
ソフィーダはその黒い瞳を揺らせた。
ふと、外を見る。よく晴れているようだった
「レーゼ。たまにはわたくしにも気晴らしが必要と思わなくて?」
「えっ!?」
レーゼは目を見開いた。
まさか?
帝王妃は婉然と笑っている。
「ヴァン・レーゼ?」
レーゼはすぐ悟った。伊達に勘の良さが気にいられているわけではない。
「はい、ソフィーダ様」
それからレーゼはぬかりなく準備を始めた。
奴隷頭にはソフィーダ様が一人で午睡を楽しみたいこと、決して起こさないようにとのことを伝え、更に、
「私、その間に市場に買い物をしにいきたいんです。ソフィーダ様がお起きになったとき、私はどこかと聞かれたら適当に誤魔化しておいていただけますか…?」
と殊勝に言い、袖の下まで渡すという念の入れようだった。
着るものも準備せねばならない。
ソフィーダの持っている服では、デザインはともかく質がよすぎた。
これは、レーゼのもので何とかすることにする。
簡素な麻のシャツに、2回ほど巻き付ける薄いスカート。頭の上からはごく薄い麻のヴェールをかぶり、小さなサークレットで留める。
さらに女性が外に出るとき、顔は慎み深く下半分を隠すのがレスト・カーンの習いなのでヴェールを片側だけ小さな飾りピンで留める。
余談だが、ヴェールは薄い方が上品だとされている。透けるような薄さのものがよいわけで、逆にまるっきり見えない厚手の布は無粋なのであった。
といっても下々の者が高価な薄い布を買えるわけではないのだが。
「少し、ヴェールが厚くはなくて?レーゼ」
ソフィーダは今回借りたヴェールにやや不満だった。
「ご辛抱下さい。そのくらいが、レーゼのものには分相応なのです。ソフィーダ様がお持ちのようなごくごく薄い絹のヴェールなんかかぶって外に行ったら、あっという間に注目をあびてしまいます」
「そういうものなの…」
ソフィーダはなんとなくうきうきしていた。
何しろ、帝王の従姉妹という高貴な生まれである。アードと年も近かったので、后がねとして大事に育てられていたのだから、市場などは数えるほどしか行ったことがない。しかも、帳深い輿に乗ってというのがせいぜいなので、歩いて外に行くなど初めてである。
「さ、では参りましょうソフィーダ様」
レーゼは、いささか不安を覚えながら促した。
大体、お顔の半分を隠されたところでソフィーダ様の美しさはちっとも損なわれない。むしろ印象的な、美しい瞳が際だってますます美しく見えるだけの話だわ。
…大丈夫かしら。カリューンの御加護がありますように…。
対するアードの方は慣れたものだった。 伊達に王太子時代から遊び歩いてはいない。 異国の商人やら僧侶やら学生やら何でもござれだった。
今日は一番動きやすい、商人のなりをしている。
「さーてと、お前ら、美女を見逃すなよ。どこに運命の出会いがあるやらわからん」
言いながら、ついさっき買った果物をしゃぐしゃぐとかじる。水分が多く、甘くて美味い。
「そんな女性は、こんなところをうろうろしたりしませんよ」
ジールも眼鏡を変え、服も普段着にしている。王太子時代からアードの「お忍び」につきあわされたこと数知れず。今では何とも思わなくなってしまった。
サラディンがつきあわされるようになったのはアードが帝位についた2年前からだったが、それでも慣れた。…つまり、相当頻度が高いということだ。
彼は文句一つ言わず…というか単純に一言も発せず、黙々とアードとジールのあとをついていっている。まあ、ちょっと見には商人の若旦那、番頭、旦那から監視を任されたお目付け役、という組み合わせに思えるだろう。
アードは上機嫌で、大にぎわいの市場を歩いていく。
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