帝王妃ソフィーダ
第1章
第一話

 …そろそろ来る。
 レスト・カーン帝国現帝王妃(マジェスティーナ)、レ・アル・ソフィーダはにっこりと笑った。
 敢えて慌てずに、婉然と長椅子に寝そべっている。長椅子に張られている、上等な毛皮の感触が心地よい。
 贅を尽くした部屋。天井にまで細かな細工がされ、丁寧に装飾が施してある。しかし派手でなく、気品があるという、難しい条件を満たしていた。
 大きな飾り窓から光が射し込んできて、窓枠にさりげなくちりばめられた宝石がきらきらと光ってまばゆい。
 もちろん、部屋自体の広さもかなりのものだ。ざっと30人分のベッドがはいる位はある。
 その中に、帝王妃ソフィーダは埋没していなかった。
 帝王妃という位にあるだけではなく、もともと現帝王の従姉妹という、高貴な血筋なのである。
 この程度の調度で臆するようなソフィーダではなかった。
 腰までも長くのばした漆黒の髪、同じく漆黒の、強い意志を持った瞳。肌は白く、唇は、きりっと紅い。
 派手な美貌を持った女性である。

 どたどたという音がした。
 「マジェスティーナ(帝王妃)…」
 「迎えの準備はいらないわ。いつものことよ」
 奴隷頭の不安げな様子を、一言で消す。 ソフィーダのそばに控えていた10人からの奴隷は、その言葉で安堵した。
 ─ ほうら、来た。
 「ソフィーダ!!!!」
 彼女を呼び捨てに出来るのは、この国レスト・カーンでたった一人。
 現帝王、アード・アル・レストに他ならない。
 帝王はどこから走ってきたのやら、冠も衣服も乱れがちだった。
 それでもいい男である。
 幾分軽薄な感じがしないでもないが、ソフィーダと並んでひけはとらない。
 「あら、マジェスティ(帝王)にはごきげんうるわしゅう。どうなさいましたの、そんなに慌てて」
 ソフィーダはにっこりと笑う。
 「お前は…お前って奴は!!!」
 「何ですの?」
 「まぁた!またしても!!俺の妾を追い出しやがったな!?」
 「あら、また逃げられたんですの?仕様のないマジェスティ。何をなさったのです?」
 「何で俺のせいなんだ!」
 「だって、後宮が嫌になって出ていくとしたら、マジェスティと相性がよくないということ以外、何が考えられますの?」
 「お前がいじめたんだろ、可愛い俺の妾をっ!」
 「あら」
 ソフィーダは全くたじろいだりしない。
 「そんなこと、彼女が、言ったんですの?」
 「…」
 「ほぉら。根も葉もないことを仰有るのはおやめあそばせ。人聞きも悪うございますわ。 妾に逃げられたあげく、その責任を妻に問うなんて、マジェスティのなさることではありませんものね。これに懲りて、もう少し妾も妻も、大事にあそばせ」
 …これ以上、夫に何が言えただろう。
 帝王はしばらくソフィーダをにらみつけ、フーフーと唸ったあと、
 「邪魔したなっ!」
 と言ってまたどたどたと出ていった。

 「ああ、やかましかったわ」
 そう言う割にソフィーダの顔は晴れやかだ。 奴隷達が、帝王に踏み荒らされた絨毯の毛を整える。
 「でもソフィーダ様、マジェスティがあれで懲りるでしょうか?」
 ソフィーダに一番近く控えていた奴隷が、親しげな口をきいた。 奴隷頭でも、ソフィーダの乳母でもない。
 ただの奴隷の少女である。
 「さあ。まあとにかく、あの女は出ていったのだからそれに越したことはないわ。どうしてだかは分からないけど。全く面倒なことね、レーゼ ?」
 ソフィーダはにっこり笑ってその奴隷に答えた。
 名前を特に呼ばれているこの奴隷の少女は、ソフィーダのお気に入りなのである。
 名前を、レーゼと言った。
 ソフィーダからは「ヴァン・レーゼ」と呼ばれることもある。
 「ヴァン」とは、古い言葉で可愛いもの、小さいものという意味を表す。レーゼという名前にはこれが一番ふさわしいわ、と言ってソフィーダが特につけた名前だった。もちろん、異例のことである。
 確かに可愛い女だった。
 明るい茶色のふさふさとした髪。こげ茶色の、リスのような瞳。
 体もほっそりと小柄で、見苦しくなくこざっぱりとしている。
 「そうですね」
 レーゼもにっこりと笑った。
 側の者たちは特になにも感じない。いつものことである。

 おさまらないのは帝王アード・アル・レストであった。
 玉座に帰ってふんぞりかえっている。
 「あーあーあー」
 ぐでんぐでんと長い脚を振り回している。
 玉座の近くには召使いがずらっと並び、さらに近くには帝王と同じ年頃の若い男がいた。
 黒い、やや長めの髪と切れ長の目を持った、まあいい男である。
 着ている長衣の色からその身分は知れた。
 藍の長衣は、五の大臣である。
 この男の名前は、ジール・ガリス。現一の大臣フィヤン・ガリスの一人息子だった。
 「…何か言えよ、ジール」
 アードの矛先がジールに向いてきた。
 「そうですね。とりあえず政務をなさっていただきましょうか?そろそろ溜まってきておりますから」
 「ちがぁう!俺はそんなつまらん話をしろと言ってるわけではない!」
 「何か、と仰有いましたので」
 「…くそう、お前はかわいくない!」
 「結構です。とりあえず、私は何もマジェスティからお聞きしてないのですから、言い様がありません。臣下としては政務をおすすめするのが当然です。何なら残りの大臣を呼んでまいりますが」
 「あーうー、俺は今傷心に浸っているから政務をやるどころではない。無理だ。大臣なんか呼ぶな」
 「そうですか。それならそれでよろしいです。私も退出いたします。今日の分は明日取り返していただきますのでよろしく」
 ジールは一礼して帰ろうとした…首根っこをアードにぎゅっと捕まれる。
 「何ですかマジェスティ」
 「まあまあ、そう慌てるな。俺とお前の仲だろう」
 「周囲に誤解を与えるような表現はお控え下さい」
 「何でもいい。とーりあえず、俺の部屋に来い。サラディンも一緒にな」
 ジールははい、と低い声でいい、ため息をついた。

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