帝王妃ソフィーダ
外伝
ヴァン・レーゼ

 それからしばらくして、王太子のご結婚が執り行われた。
 ものすごく盛大なお式で、王宮の庭は開放されて一般市民にも酒やご馳走がふんだんに振る舞われた。
 奴隷には大仕事だったが、それでもお祝いの雰囲気が味わえたし、とても楽しかった。
 バルコニーに挨拶に現れた王太子妃ソフィーダ様は遠目だったのでよくは見えなかったが、周りの評判は上々だった。相当なお美しさらしい。妃がねとして育てられていただけあって、既に王太子妃、帝王妃にふさわしい威厳をお持ちだとか。
 アード様も相当な美男でいらっしゃるので見劣りはなさらない。似合いの一対だという話だった。
 私はそれより、遠目からでも分かったソフィーダ様の衣装に憧れた。きらびやかな、美しい着物。
 私もいつかあんなのが着たいなあと憧れた。

 母はそれから王太子妃づきの奴隷になった。寵姫はしぶったようだったが、帝王妃が不在の今、以前帝王妃に仕えていた奴隷の方が何かとしきたりにもくわしく、慣れているからよいだろうとの帝王の配慮でそうなったようだ。帝王にとってもソフィーダ様は姪にあたる。御母君のアニス様は同腹のご兄妹でもあることだし、ソフィーダ様にはお気を配られるようだった。
 そのソフィーダ様のおそばには常に30人からの奴隷がいるらしい。嫌にならないのかな、と幼い私は単純に思っていた。
 それから3ヶ月ほど経って、母から話があった。
 「奴隷頭から命令があったわ。お前もとうとうダルリーヴァにお仕えするのよ!」
 母はものすごく嬉しそうだった。これ以上の名誉はない、と言いたげだった。
 夜だったし、同室の人たちは皆寝ていた…はずだったのだけれど、母の抑えた言葉にも反応している様がわかった。
 自覚がないのは私の方だった。
 「…そうなの?」
 「そうよ!ダルリーヴァご自身が年の近い奴隷が欲しいと仰有って。お話相手になさりたいそうよ。ちょうど良い奴隷はお前しかいなかったから…もっとも、すぐ奴隷市場で調達してくるでしょうけど、教育などに時間がかかるものね。他の子は寵姫や姫様方にお仕えしているし。
 とにかくこんな幸運なことはないわ。もっとも明日、奴隷頭に会って正式にお許しがいただけたら、だけど。
 ああ、レーゼ。お前を育てていてよかった。産んで良かったわ。ありがとう」
 母の感激に、私はついていけなかった。嫌だと思う気持ちもない代わりに、嬉しいという気持ちも起こらなかったのだ。本当に。

 次の日、母と一緒に奴隷頭に会った。といっても、顔は知っていたけど。何度か、後宮のあたりで遊んでいて殴られたこともある。
 大きな体をした宦官で、皮膚の色は殆ど黒かったから子供心には余計に怖かった。
 彼は値踏みするように私を見た。
 「名前は」
 …知ってるくせに。
 「レーゼです」
 「年は」
 「11歳です」
 「対マジェスティに対する正式な口上を述べろ」
 「幸い満てるマジェスティ、栄光の御方、御身の上にカリューンの恩寵と平安あれかし」
 「対マジェスティーナ」
 「慈悲深きマジェスティーナ、幸いの御母、御身の上にカリューンの恩寵と平安あれかし」
 それから王太子、王太子妃、寵姫などに対する挨拶を一通り述べさせられた。カリューンの神に関することもいろいろと聞かれた。
 はらはらと気を揉む母をよそに私は淡々と答え、奴隷頭は相変わらず値踏みするように私を見ていた。
 質問が終わると、彼は手に持った鞭を無意味に一つ鳴らした。
 「いいだろう。少し年は足りないようだが、一通り出来ているようだ。明日、ダルリーヴァにお目にかけることにする。よく磨いておけ」
 母の力が一気に抜けるのが分かった。
 「あ、ありがとうございます、ありがとうございます!ほら、レーゼ。何をぼーっとしているの!?」
 母に小突かれ、私は急いで頭を下げた。
 「あ、ありがとうございます…」
 奴隷頭はフンと鼻を鳴らした。
 「まだ、いまいち自分がどのような幸運を掴んだのか分かっていないのではないか?教育が足りないな」
 「も、申し訳ありません。少し緊張しておりますようで…本当に、ダルリーヴァの御前ではこのようなことのないよう、きつくきつく言ってきかせますので!」
 母は何度も何度も頭を下げた。私もつられて下げる。とりあえずその場は勘弁してもらった。

 それから私は母と後宮内にある奴隷用の浴場に行った。
 海の向こうのフィオルナという国では奴隷どころか普通の市民もあまり浴場には行かないらしいけど、私からすると信じられない。それだけでもレスト・カーンに生まれてきてよかったと思う。
 「お前っていう子は!!自分がどれだけ幸運だかまだ分からないの!?」
 浴場の中でさんざん母に叱られた。
 幸運だ幸運だ、と言われても何が幸運なのか私にはさっぱり分からなかったのだから仕方ない。私はきょとんとしていた。
 それでも母の手前、
 「ごめんなさい。気をつけます」
 殊勝に謝った。
 「本当に…。お前、ダルリーヴァ付きをはずされてお端下仕事をやりたいの?ダルリーヴァ付きになりたがっている奴隷なんて山のようにいるのよ」
 「ねえ、じゃあ母さん」
 私は気を変えることにした。
 「ダルリーヴァってどんな方なの?もう一回教えて」
 あら、という顔で母は私を見た。
 少しやる気を見せたのがよかったらしい。
 「まず、とてもお美しい方よ。御母君のアニス様のお若い頃に少し似てらっしゃるわね。そしてとても頭もよろしいの。二の大臣のご教育ね。かといってそれほど堅苦しい方ではなくて、気さくな方でもあるわ。ただ、ご自分が納得いかないことに関してはとてもお厳しいの。あのお若さで筋が通ってらして、素晴らしいわ」
 私はくらくらした。母の話からすると、およそ欠点というものが見あたらない。
 そんな方にお仕えして、大丈夫なのだろうか。
 そもそも「お仕え」って何をすればいいんだろう。
 考え込んだ私を見て、母は笑った。
 「大丈夫よレーゼ。とにかく一目、ダルリーヴァを近くで拝見してご覧なさい。もう、ダルリーヴァ以外の方にお仕えするなんて、とてもとても考えられなくなるのだから。
 私たち奴隷は、お仕えする方によって大きく運命が変わるわ。本当にお前は幸運よ」
 そういうものかな、と私は勢いよくお湯に浸かった。
 「レーゼ、そんな下品なことをしないの!明日からダルリーヴァにお仕えするのよ!」
 「…」

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