帝王妃ソフィーダ
外伝
レギオン家のソフィーダ

 ムスティールが去ってからしばらくして、ウルマリクの部屋には別の訪問者が居た。
 「とにかく、仰せ通りに」
 「ありがとうございます、大神官殿」
 「あの若者は来るのでしょうか」
 「どちらでも構いませんがね。来てもらった方がレスト・カーンは穏やかになり得ると思いますよ。だからこそあなたも協力して下さった」
 「それは…そうですが…」
 「回避できる争いは回避するに越したことはないのです。至高全能のカリューンもそれをお望みのはずです」
 「勿論です」
 「あの若者は信仰心も人一倍篤い。向き不向きということもあります。カリューンに仕える気持ちが世俗の権力に対するものより強ければ来るでしょうし、そうでなければ来ないのでしょう」
 「ではあなた様は、畏れ多くも至高全能のカリューンへの信仰心が薄いと…?」
 「そうではありません。私とてカリューン信徒です。ただ、私は祭祀所に仕えるよりもこの職にあった方がカリューンおよびマジェスティのお役に立てると思ったからこそ、こうして身を処しているわけです。そこのところは勘違いなさらないでいただきたい」
 「なるほど…」
 「とにかく、待ちましょう。お互いにとってよい結果になりますよう」
 一の大臣、フィヤン・ガリスはそこで初めて少し笑った。

 その夜、ソフィーダはふと目を覚ました。
 なんとなく人の気配がしたのである。
 夢うつつのまま目をひらくと、枕元に兄がいてソフィーダの額に手を当てていた。
 「お兄様…?」
 「ごめんよ、起こしてしまったね」
 「…どうなさったの…?」
 王宮に行って疲れているので、眠い。それに兄が優しく額を撫でてくれるので、またすぐに眠りそうだった。
 窓から差す月明かりが、兄の端正な顔を照らしていた。
 「ソフィーダ、ごめんよ。私は、祭祀所の神官になる」
 「………?」
 何を言っているのかよく分からなかった。
 「今、父上と母上にも話してきた。反対された。でも私の決意は変わらないよ。私は、祭祀所に入る。大神官様ともお約束したんだ」
 「………どうして………?」
 眠い。ソフィーダはともすれば閉じそうな瞼を必死に開けようとするが、上手くいかない。
 「今は言えないけど…いつか分かると思う。
 だから私は家を出るけど、ソフィーダは元気でいるんだよ」
 「家を…?」
 「祭祀所に入るには、学校に入らなくてはいけない。学校で生活をしながら勉強するから、家には居られないんだ」
 「そう…」
 「分かってるのかなあ。眠いんだね、ソフィーダ」
 あるかなきかにソフィーダはうなずいた。
 「ソフィーダがマジェスティーナになる以上、私に出来ることは神官になることくらいしかないんだ。ごめんよ、ソフィーダ。
 父上や母上の言うことをよくきいて、良い子にしているんだよ」
 ― 大切な、私の妹。
 「お兄様…」
 ソフィーダはそのまま、また眠ってしまった。
 ムスティールは少し笑った後、可愛くて仕方ない妹の額にそっと口づけた。

 次の日起きたソフィーダは、なんだか不思議な夢を見たような感じがしていた。
 お兄様がいたような気がするのだけれど、夢だったのかしら?
 それにしてもなんだかいい夢だったような気がする。
 にこにこと機嫌良く起き、身支度をして母のところに行って初めて事の重大さに気づいた。
 いつもふんわりと優しい母が、泣きはらした目をしている。
 「お母様、どうしたの?」
 「ソフィーダ!」
 母はソフィーダに駆け寄ってしっかりと抱きしめた。
 「ソフィーダ、一体昨日王宮で何があったの?どうしてなの?」
 「お母様?」
 「ムスティールが……」
 「お兄様が?」
 「祭祀所へ入るというのよ!どうしてなの、ソフィーダ!」
 そういえば昨日、お兄様が夢でそんなことを言っていたような気がする。
 「何か、いけないの?」
 「ソフィーダはまだ分かっていないのね…。いいことソフィーダ、祭祀所へ入ったらお父様の跡を継ぐことは出来ないのよ。大臣にはなれないの。学校は寮だから、おうちにも年に二度くらいしか帰ってこられなくなるの。滅多にお兄様に会えなくなるのよ、ソフィーダ。分かって?」
 「!」
 お父様の跡を継ぐとかそういうことはどうでもよかったが、年に二度しか兄に会えないというのはゆゆしき問題であった。
 「お母様、どうして?どうしてお兄様はそんなことなさるの?」
 「お母様にもわからないのよ。昨日の夜急にそんなことを言い出して、今朝にはもう出て行ってしまったのよ。お父様はたいへんお怒りになっているわ」
 「もう行ってしまわれたの?」
 母は力無くうなずいた。
 矢も盾もたまらなくなり、ソフィーダは駆けだした。

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