帝王妃ソフィーダ
外伝
レギオン家のソフィーダ

 しばらくすると女奴隷が飲み物を持ってきてくれた。
 綺麗なガラスの瓶に入ったシャーベット。ソフィーダの好物でもあったので喜んでいただいた。
 氷を細かく砕いたものに果汁と蜂蜜が混ぜてある飲み物である。
 はしたなく一気に飲むような真似はしないがそれに近いようなことをし、ソフィーダは一息ついた。
 「美味しかった」
 ソフィーダが呟くと、飲み物を持ってきてくれた女奴隷がにっこりと笑って空の瓶を受け取る。
 「さっきのおじさんにお礼言っておいて下さいな」
 おじさんとは侍従のことである。彼の名誉のために言うと、そう年はいっていない。が、なにしろ七歳のソフィーダからみたら二十歳以上は全ておじさんだ。
 女奴隷は苦笑しつつもう一度頭をさげ、瓶を持っていった。
 周りには誰もいなくなる。
 ソフィーダがぼーっとしていると、時折神官が通りかかったものの、特に注意を払われるでもなく通り過ぎられてしまった。
 神官は皆髪が短い。普通の成人男性よりもうんと短いので、ソフィーダの目には奇妙に映った。
 しかし、その光景にもすぐに飽きる。
 「お兄様、早く帰ってこないかなあ」
 彼女にしてみれば随分待ったつもりなのだが、実際にはまだ十五分も経っていない。帰ってこいと言っても無理な相談だった。
 しばらく足をぶらぶらさせた後、ソフィーダはぽん、と椅子から飛び降りた。飛び降りた後に、しまった、良い服を着ていたんだったわと思って何事もなかったかのようにさりげなくスカートの乱れを直す。
 確か兄はあちらの方に行ったはずだ、と思ったソフィーダはそちらの方にどんどんと進むことにした。
 ここで普通なら迷子になったりして大変なことになるはずなのだが、そこはソフィーダのことである。
 道行く人にいちいち、
 「すみません、二の大臣リヤド・レギオンの息子ムスティールはこちらに行きましたか?年は十二歳で、白い長衣に青いベルトをしています」
 と丁寧に聞いていったおかげで兄の軌跡を正確にたどることができた。
 大きな本棚の前で神官に説明を受けている兄を見つけ、笑って駆け寄…ろうとしてよい服に気づき、早足で近づく。
 「お兄様!」
 兄は驚いた顔でソフィーダを見た。
 「ソフィーダ?どうしたの、待っていなさいと言っただろう?」
 「飽きちゃったんですもの」
 「迷子になったら大変じゃないか」
 「ならなかったですもの」
 「…そりゃあ、そうだけど…」
 ムスティールは一つ溜息をついてあきらめた。
 「でも、言いつけはきちんと守らなくてはいけないよ」
 無駄だろうな、と思いつつそう言うのがせいぜいである。この妹は人の言うことをそうやすやすときく性質ではない。
 案の定ソフィーダはにっこり笑って、はいと返事をしただけである。反省していないのは火を見るよりも明らかだった。
 そんなことよりソフィーダは、兄の横にいた小さい子に気がついた。
 小さい子、と言ってもソフィーダと同じくらいの年である。
 男の子だった。
 「…」
 小さいくせに眼鏡なんかかけている。ソフィーダはつんとした。
 気づいたムスティールが、
 「ああ、ソフィーダ。この子は一の大臣フィヤン・ガリス様の子でジールというそうだ。
 ジール、この子は私の妹でね。ソフィーダという。君より一つお姉さんだ」
 なんだ、わたくしより年下なのね。
 「よろしく、ジール」
 ソフィーダはお姉さんらしくにっこり笑って挨拶をした。ジールはソフィーダを見、軽く頭を下げただけだった。
 「…お兄様、何で一の大臣の子がここにいるの?」
 「私たちと一緒だよ。お父上に連れてきてもらったそうだ。日が重なったのは偶然、なのかな」
 ジールはこくりとうなずく。あまり喋らない子なのかしら。つまんない、とソフィーダは思った。
 「お兄様と一緒で祭祀所が好きなの、ジール?」
 つまんない、と思いながらもソフィーダは精一杯好意的に聞いてみた。果たしてジールは初めて口を開き、淡々と答えた。
 「好きというわけではありませんが、見ておくのも後のためによいだろうと父が申しましたので」
 あっけにとられる。なんだってこの子はこんな口のききかたをするのかしら?
 「そ、そう…」
 「一の大臣は教育熱心だね。ジールも将来は大臣になりたいのだろう?」
 ムスティールの問いに、ジールは生真面目にうなずいた。全く、「末は博士か大臣か」という風情だった。
 「その時にはムスティール殿にもお世話になると思います。宜しくお願いします」
 「どうかな。それは分からないけど。まあ、こちらこそ宜しく」
 「ムスティール殿は、祭祀所の方がお好きなのですか?」
 「そうだね…うん、そうかもしれない。カリューンの御業はおおいに興味惹かれるところだからね」
 何故かムスティールは慎重に言葉を選びながら言った。
 ソフィーダもジールも、そのときは彼の意図が全く分からなかった。
 きょとんとした二人を見ながらムスティールが静かに笑う。と、神官がムスティールを呼びに来た。
 「大神官に少しだけお時間をいただいたんだ。私一人で行ってくるからここで待っていなさい。ソフィーダ、今度こそ来ちゃ駄目だよ」
 きちんと釘を刺し、ムスティールは神官とともに奥の部屋に行ってしまった。
 後に残されたソフィーダはちらっとジールを見、この子と二人きりで一体どんな話をすればいいのかしら、と内心溜息をついた。

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