「恐れながら、マジェスティはソフィーダ様がお好きなのだと思います。 とてもとてもお好きで、どうしていいのかどう言っていいのか分からないようにお見受けします。
わざとソフィーダ様を怒らせるようなことをなさったり、他の方に目移りされたり…。
でも結局ソフィーダ様がお好きなんだなっていうのは、私でも分かります」
「うーん…」
アードは溜息をついた。
「お前が分かってくれてるのなら、ソフィーダも分かってくれたって良さそうなもんだと思うんだけどなあ」
「分かってらっしゃると思いますけど」
レーゼは、言いながら心の中で「多分」と付け加えた。
十中八九分かっているとは思うが、先日サラディンが「マジェスティとマジェスティーナは、仲が悪いと思っていた」と言ったのをちらっと思い出したのだ。
まさか、ソフィーダはサラディンほど鈍くはないだろうが…。
「どうしてだか、ソフィーダには上手く言えないんだよなあ。
何で、口を開くと喧嘩になるんだろう」
他の女にはいくらでも言えるのに。
その時のレーゼには、さすがにそれを説明することはできなかった。ただ、帝王も意地っ張りだなあと思ったくらいだった。
「お好きならお好きと…仰有って下さらなければ、ソフィーダ様だって困る…と思います」
「困る?」
「だってソフィーダ様も、マジェスティがお好きですから」
「好きかな」
「大好きですよ」
「俺のどこがいいんだろう」
これも困った。どこが、と言われても困る。だが、レーゼは笑って切り抜けた。
「ソフィーダ様がお起きになったら、聞いてみれば宜しいですよ」
アードも笑った。
「そうだな」
ソフィーダの頬を撫でる。きめの細かい肌は、触り心地が良かった。
「こんなことなら、父上にもっと色々聞いておけばよかった。…レーゼは父上を知ってるんだよな?」
「存じ上げていると申しましても、直接お言葉を賜ったことはありません。遠くから拝見したくらいです」
「そうか。怖そうなマジェスティだっただろ?」
「…」
無言は肯定だった。アードは構わずに後を引き受けた。
「俺には怖かった。政治向きのことは色々教わったけど、それ以外のことはなんとなく聞けなかった。
周りには可愛がられてるって思われてたけど、まあそんなもんだ」
おまけに、アードの母である先代のマジェスティーナは早くに亡くなっている。アード自身、あまり肉親の愛情を知らないのだ。王家にありがちなこととはいえ、それはやはり淋しかった。
「…お前も、割と早くに親を亡くしてるよな?」
「はい」
レーゼはうなずく。父は顔も知らないし、母も三年ほど前に亡くなってしまった。
「じゃあ、俺がソフィーダを羨ましく思うのも分かるか」
今日の帝王は恐ろしいほど素直だ、と思いながらレーゼはまたうなずいた。
ソフィーダは父も母も健在である。おまけに仲の良い兄までいる。
金銭的な面では言うに及ばず、愛情という面でも何不自由することなく育った娘なのだった。
まっすぐ愛されることを肌で知っているので、同じようにすることが出来る。言葉で言うと簡単だが、実はそれがものすごく難しいことを、アードは生まれと育ちのおかげでよく知っていた。順風満帆な王太子であったと言われた彼でさえ、くぐった修羅場の一つや二つくらいはある。猜疑心の塊にならなかったのは生来の楽天的な気質と、ジールやサラディン、そしてムスティールやソフィーダといった腹心がいたからに他ならない。
レーゼとて、後宮で暮らす奴隷である。陰に陽にかばってくれるソフィーダに見せたことはないが、同僚のねたみやそねみを買ったことは数知れなかった。そして、頼れるべき存在であった母は亡くなってしまったから、もう誰に頼るわけにもいかない。
「羨ましい…俺はソフィーダが羨ましい、とも思う。
だけど、ソフィーダがいてくれたから俺は救われてきた気もするんだ。
他の女に手を出して…まあそれは俺なりの理由もあるけど」
空しい理想の女性探しですか、と言いたくなるのをレーゼは呑み込んだ。うっかり言ったらサラディンの信用に疵がつくだろう。下手をしたら首が飛ぶ。
「それでも、マジェスティはソフィーダ様がお好きなのですね」
レーゼの言葉に、アードは殆ど分からないようにうなずいた。
「…埒もないことを言った」
吹っ切るように言うとアードは体を一度起こし、伸びをする。
「そろそろ寝るぞ。レーゼも、休め。ソフィーダが起きたときにお前がガリガリに痩せてたりしたら、怒られるどころじゃすまないぞ。周りの奴隷の責任にもなる。分かったな?」
「……はい」
周りの奴隷にまで気を回す余裕は、レーゼにはなかったのだが不承不承うなずいた。
「俺も休んでるんだから。な?」
レーゼのところまで行って、ぐしゃぐしゃっと頭を撫でる。
― そういえば、ソフィーダ様もよく頭を撫でて下さった。
撫でていただいたときも幸せだとは思っていたが、今ほどその幸せが貴重なものだったのだと思えたときはなかった。
早く、また撫でて頂きたいと思った。
「ソフィーダの側を離れたくないんだったら、そこの長椅子で休んだらどうだ?」
「とんでも…!…ありません」
大きな声を出しかけ、慌てて口をふさぐ。アードにとっては「そこの長椅子」でも、それはソフィーダお気に入りの長椅子だった。いくらなんでもそこで寝られるほどレーゼは不敬ではない。
「お許しがいただけるなら、こちらで…」
レーゼは、おそるおそるソフィーダの寝台の脇にある敷物の上に横たわる。
「上かけないと風邪ひくぞ。これをかけてろ」
アードが放って寄越したのは、彼が上に着ていた長衣だった。
とんでもない、とレーゼはまたぞろ恐縮する。
帝王から着ている衣を賜ることはかなりの栄誉になる。大臣クラスでもそうそうもらえるものではなかった。まして一奴隷がもらうなど、この長いレスト・カーンの歴史をひもといてもあるかどうかすら怪しい。
「マジェスティ、どうかこれは……」
「何だ?妙な遠慮をして。じゃあ分かった。遣らない。貸すだけだ。それでいいだろう?朝になったら返してくれ」
「はあ…」
それで気が休まるかと言われればやや疑問ではあったが、これ以上は交渉しても無駄だと悟ったレーゼは、大人しくアードの長衣を掛け布団代わりにすることにした。
アードは割と背の高い方なので、小柄なレーゼだと丁度良かった。
彼女がもぞもぞと落ち着くのをよそに、アードはソフィーダの寝台に入る。
こうやっていつも添い寝するのが最近の習いだった。
最初は看病人らしく寝台の脇にある椅子で座ったまま寝ていたのだが、どうにも体が痛くなる。周りもやめてくれとうるさかった。思案した結果、病気ではないのだから一緒に寝てもうつらないし大丈夫だといういささか強引な論を考え出し、添い寝することにしたのである。
「…ただ添い寝するってのもそろそろ飽きたな。早く起きねえかな」
「マジェスティ」
「早くやらねえと、俺の中で種が腐る」
「…………」
帝王の言葉にしてはあまりに品がなさすぎる台詞を、レーゼは敢えて無視することにした。
「…おやすみなさいまし」
「ああ。おやすみ」
レーゼはせめてアードが寝るまでは臣下の礼を保って起きていよう…と思ったが、彼女の体は想像以上に疲労していた。あっという間に眠りに落ちてしまった。
だから彼女は、アードがその後ソフィーダに向かって囁いた言葉を知らない。
ソフィーダの美しい寝顔を見、愛おしげに目を細めながら彼は囁いた。
「早く起きろ。また喧嘩しよう、ソフィーダ」
-Fin- |