一年の約束

 

 3.


 セルジオは、それから約3週間の行程を経てサッカルー公爵の領地にたどり着いた。
 その3週間の行程の中で、はやくもセルジオは父王の意図を痛感していた。
 クスコは、まだまだ新しい国である。
 前王朝サゼスの影響もまだ衰えてはいない。
 特にサゼスの旧王都近辺は、まだまだメルメ1世に対する風当たりは強かった。
 こういった現実も、父は自分に見せたかったのだろうと思う。
 だが、サッカルー公爵の領地は他の土地と比べて、雰囲気が明るかった。
 セステアより、活気があるかもしれない。
 供の者に話すと、サッカルー公爵を知っている者が笑って言った。
 「そりゃあ、領主がサッカルー様なら明るくもなるでしょう。人徳ですよ。…それにしても、国はずれがこうっていうのは、良いことですよ。クスコはまだまだ発展しますね」
 そういうものなのだろうか。
 そして、サッカルー公爵はどんな人なんだろうか。
 セルジオの期待は、高まっていく。

 

 やっと、サッカルー公爵の屋敷にたどり着いたのは、更に4日後だった。
 屋敷…?
 セルジオは唖然とする。
 そこは、「屋敷」というよりは「砦」そのものだった。
 隣国レストカとの国境にあるとはいえ、もう少し公爵らしい「屋敷」を想像していたので、かなり面食らった。
 入るにはまず、巨大な鉄の門を開けてもらわなければならない。
 ─ 城下町の門より大きい…かもしれない…。
 唖然としているセルジオを他所に、供の者が門番に用件を告げて開門を促す。
 大きな門が開くのを、セルジオと供の者が待っていると、門の上から大声がした。
 「よう!俺の目に狂いがなけりゃ、お前がフェバートの息子だろ!?」
 はっと上を見上げると、眩しい太陽を背にした熊が立っていた。
 …ように見えたが、熊のような大男であったことがすぐに分かった。
 「サッカルー公爵!?」
 セルジオが返す。
 「おうよ!…門が開くのを待ってんのか?そんなとろくせえことをすんな、奴の息子なら『浮遊』くらい使えるだろ!?」
 「使っても、いいんですか!?」
 「使えって言ってんだ!」
 こういうところで怖じ気づくセルジオではない。
 「お前達は、あとで門が開いたら来てくれ。あと、僕の馬も頼む」
 供の者に馬を預け、王子は単身『浮遊』で浮かび上がった。
 この魔術を使うのは、久し振りだったが、なんとか忘れずにいられたらしい。
 門の上まであがり、サッカルー公爵の前にふわりと着地した。
 「おお、見事な着地だ。さすがフェバートの息子だな」
 セルジオは内心ほっとする。『浮遊』は、実は着地が一番難しい。どこで力を抜くかが問題だ。
 下手をすれば、サッカルー公爵の前でひっくり返っていたかもしれない。
 「さぁて、ようこそ。…えーと、名前何だっけ?」
 「セルジオです」
 「そだそだ、セルジオだったな。うーん、顔は奴に似ないで済んだんだな。ネーナそっくりだ。髪のせいかな」
 ─ 母上…。
 よく言われることではあったが、父の古い知合いに言われるとまた違った風に実感させられる。
 「俺がサッカルーだ。ハイト=サッカルー。…断っとくが、二度とサッカルー公爵なんて呼ぶんじゃねえぞ。誰のことやら分かりゃしねえ」
 「えっ、でも…」
 「じゃあどう呼べって?まあもっともな疑問だ。ハイトさんとでも呼べ。そのくらいなら勘弁してやる」
 「ハイトさん、って…」
 それではあんまりに軽すぎやしないだろうか。
 セルジオは胸に浮かんだ疑問を口にしようとして、止めた。
 サッカルー公爵 ─ ハイトは、にやっと笑って値踏みするようにセルジオを見ている。
 よくあたりに気を配れば、やはり同じように周りの兵士たちもセルジオをじろじろと見ていた。
 ハイトをぱっと見、「熊」だと思ったのだが、周りの兵士たちもよく見れば熊のような者たちが多い。
 ─ 熊の総大将か。
 何となく可笑しくなった。
 大体ハイトときたら、真っ黒に日焼けした肌に、元は多分黒だったが、今は日に灼けて茶色く煤けた髪、がっちりした身体。
 熊そのものにならないのは、目だけが華奢なグリーンだからだった。
 その色だけが彼の風貌の中で唯一、浮いている。
 何となく見とれていると、不意にハイトが言った。
 「細っこいなあ、しかし。いくつになる?」
 「えっ…15ですけど…」
 「じゅうごぉ?お前、15でそれか。ちょっと発育足んねえなあ」
 …少なからず、セルジオは傷ついた。これでもそれなりに鍛えてきたつもりだ。 
 そんじょそこらの王子には負けないと思う。
 それもまた、思い上がりだったのだろうか。
 「ま、いいや。1年俺が鍛えてやる。
 いやー、フェバートからお前を預かってくれって言われて、何をしたもんかと思ってたが、案外やることあっさり見つかったな。よかったよかった」
 「…どうも…」
 「礼なんざいいっていいって。フェバートから倍返ししてもらうから」
 呵呵と笑い、ばしばしとセルジオの肩を叩きながらハイトは一緒に門を降りた。

 

 それから砦の中にある居住区へ向かった。
 ここの砦は本当に広い。サッカルー公爵一家だけではなく、1000人以上の兵士達が共にこの砦で暮らしているのだとハイトは言った。
 いざレストカが攻めてきた時には、近隣から農兵を募ることも可能だという。
 その為の訓練も砦の中で行っているらしい。
 そんな砦が、ここだけではなく国境にはいくつか存在するのだった。
 セステアと違って、本当に敵と隣り合わせにある地の実態をセルジオは初めて垣間見た。ハイトの一家が住んでいるところは、意外にもレースのカーテンがかかっていたり、華奢な作りのテーブルがあったりとなかなか洗練されていた。
 「うちのかみさんの趣味だ」
 意外そうなセルジオの顔を見て、ハイトがぶっきらぼうに言う。
 「僕、何も言ってませんが」
 「お前の顔に書いてあった。嘘っ、ここがハイトさんの住んでるとこ?意外と少女趣味なの?って。誤解すんなよ」
 「…」
 「おい、客が来たぞ!」
 ハイトが奥に向かって怒鳴る。
 「はぁいあなた。分かってますわ。お外が騒がしかったですもの」
 奥から出てきたのは、家具と同じように華奢な女性だった。
 それなりに年はいっているようだが、たよたよとして幼く、折れそうな印象の美人だ。
 蜂蜜色の髪は、似付かわしくゆるやかに結い上げている。
 「まあ、この方が王子様ね?何て可愛らしい方」
 ハイトの妻はにっこりと笑った。
 セルジオはまた傷ついた。この年頃の男にとって、『可愛い』と言われるのは屈辱以外の何ものでもない。
 「あなた、やはり王子様ともなると違うのね、すてきよ。レースが似合いそうだわ」
 「バカヤロウ、そんなん着せて帰したら俺がフェバートにぶん殴られる。バカも休み休み言え」
 「ああらぁ、残念…」
 ハイトはそれ以上構わずに居間にずかずかと入り、大きなソファにどっかりと座り込んだ。
 …全体的に華奢なこの部屋において、ハイトは確実に浮いている。
 そして、「公爵家のもの」というには、余りにも狭い居間だったが、そう見えるのはハイトの熊のような体躯のせいもあるようだった。
 「セルジオ王子様、私がサッカルー公爵の妻ですの。シュレインと申します。宜しく」 
 「あ、こちらこそ…。お世話になります」
 優雅に腰を折って挨拶するシュレインに、セルジオもかしこまって挨拶した。
 そのまま、お座りあそばせ、とシュレインに導かれるようにハイトの向かいにあるソファに腰かけさせられる。
 「今、お茶をお入れしますわね」
 にっこり笑ってシュレインはその場を立ち去った。
 「いいぞ、適当で!」
 背中に向かってハイトが怒鳴る。はぁい、と律義に返事する声が聞こえた。
 「さて、だ、セルジオ。これからだがな」
 「お父さまーーぁ」
 ハイトがセルジオの方に身を乗り出した途端、歌うような声が話を遮った。
 いつのまにやらハイトの首っ玉に抱きついている、黒髪の少女。
 目はハイトと同じ、華奢なグリーン。
 顔はシュレインに似て可愛らしかったが、どう見てもハイトの娘だった。
 「なんだ、フェルか。どうした?」
 「どうした、ってひどいわ。王子様いらしたんでしょ?私にも紹介して頂戴」
 「王子様王子様ってお前も母さんも…ほれ、王子様ならお前の向かいに座ってるよ」
 顎でしゃくると、少女は目を丸くしてセルジオを見た。
 「まあ、この方が?」
 猫みたいだ、とセルジオは思った。その点のみ、マリアを思い起こさせた。
 少女はふわっと笑うとハイトから手を離し、隣にきちんと座った。
 綺麗なピンク色のドレスを着ている。
 この部屋の中では似付かわしいが、一歩外に出て砦の兵士達の中を歩いたら相当目立つだろうな、とセルジオは思った。
 「はじめまして王子様。サッカルー公爵の娘です。フェルディオーレと言います。よろしく」
 「フェルディ、オーレ?」
 長い名前だったのでセルジオが聞き返すと、途端に少女は目をつり上げた。
 「違いますわ!フェル・ディオーレと発音して下さいませ!」
 「ご、ごめん」
 「どっちだっていいじゃねえかそんなん」
 ハイトがめんどくさそうに言うと、フェルディオーレはあからさまに怒った表情を向けた。
 「よくありませんわ!お父様ったらひどい。フェルディオーレが大事じゃないんだわ。ひどいわ」
 「大事じゃないわけねえだろうが、全く…」
 ハイトは娘を捕まえて、頭を撫でた。
 「すまん、セルジオ。こいつの名前は…わかっちゃいるだろうが、シュレインがつけた。全くもって長い、と俺も思っている。遠慮なくフェル、と呼んでやってくれ」
 「いやぁん、略しちゃイヤぁ」
 「…フェル、の方が可愛いと思うけど」
 半泣きだったフェルディオーレは、その一言でぴたっと泣きやんだ。
 「え…?」
 「えっ?だって、覚えやすいし、呼びやすいし。フェルっていい響きだと思うけど」
 「…」
 フェルディオーレはみるみるうちに頬を染める。
 「そ、そうかしら…」
 「うん」
 セルジオは何の気なしに言っているだけだ。
 「そっか…じゃあフェルでいいわ、王子様」
 「ああ、僕のこともセルジオでいいよ」
 「…はい」
 一部始終を横でみていたハイトは、溜息をついた。
 「お前、なんというか本当、王子様だな」
 「は?」
 「いやいや、先天的にね、こう女心を…まあいいや、おいフェル坊、残念だがこの王子様にはもうお妃様がいらっしゃるぞ」
 「えええっっ!!!!」
 …頬を染めたフェルディオーレにとって、それは余りにもダメージの大きな一言だった。
 彼女はすくっと立ち上がり、くるっときびすを返してすたすたと行ってしまった。
 「…え?」
 何が起こったのかセルジオには良く分からない。
 ハイトがくっくっと笑った。
 「良かったぁ、お前が女房持ちで」
 「??」
 「大事な娘だからな、まだ嫁にやりたかねえや。ハハハ」
 「嫁って…」
 あの子はどう見ても10歳かそこらだ。
 自分も11歳で結婚したから、人のことは言えないが…。
 そうこうしているうちに、シュレインが侍女とともにお茶の用意をして現れた。
 「あなた、ティレックとシードルも呼びましょうか?ああ、それにフェルディオーレも」
 「フェルディオーレは今来たよ」
 「もう引っ込んでしまったんですの?どうしちゃったのかしら」
 「まあほっとけ。とりあえずティレックとシードルだけでいいや」
 ティレック?シードル?
 今度はどんな人がくるのだろう、とセルジオは身構えた。