一年の約束

 

 1.
 

 夜。
 マリアはいつものように寝室に向かった。
 セルジオが先に来ていて、ベッドの上で座って考え込んでいる。
「セルジオ様」
「マリア」
 声をかけると、セルジオはにっこり笑った。
 何となくほっとしてマリアはセルジオの元に向かう。
 侍女に明かりを消してもらうと、やっぱりいつものように2人で向かい合ってベッドの上に座る。
 寝る前に、何となく目が慣れるまでこうやって2人で話すのが日課だった。
「…マリアは、どう思う?」
 いきなり、きた。
 どう切りだそうか迷っていたマリアは、却って楽になる。
「どう…って…。私には何も言えませんわ。セルジオ様次第です」
「…1年だよ?マリアと1年も離れて…」
「分かってますわ」
「平気?」
 こういう時のセルジオは、まだ幼さが抜けない。
 結婚してから既に4年。マリアは19歳、セルジオも15歳になっていた。
 セルジオは背も伸び、顔の丸みもとれてはきたが、まだ「少年王子」という印象の方が強い。
 対するマリアは、女性としてもう大輪の花が開かんばかりであった。
「平気…ではないですわね」
 正直にマリアは言った。
「平気なはずありませんけど、まだ実感が湧きませんの。1年…って長いような短いような、でしょう?」
「長いよ」
 セルジオはだだをこねるように言うと、ベッドに寝転がった。
「サッカルー公爵の領地は遠いから…なかなか帰ってこられない。誕生日にも会えるかどうか…」
「多分、お父様は誕生日にも帰ってきてはいけないとおっしゃるはずですわ」
「何で!?」
「だって、1年っておっしゃいましたもの」
「 …」
「セルジオ様は、どうしてもお嫌ですの?」
「どうしても…」
 セルジオはしばらく考え込んだ。
「サッカルー様のところで何を学んできなさいとお父様がおっしゃるのか分かりませんけど、きっとセルジオ様に損はないと思いますわ」
「…何でマリアはそこまで言えるの?」
「お父様が、セルジオ様に悪しかれと思って事を進めるはずがありませんもの。きっと深いお考えがあるのですわ」
「………マリアは僕より父上のことが分かってるみたいだ」
 そっぽをむかれてしまったので、マリアは慌ててセルジオに合わせて横になる。
「そういうわけではありませんわ。ただ、何となくそんな気がするだけです。明日、ちゃんとお父様に聞いてごらんあそばせ?ね?」
「………」
 セルジオは、どうにかうなずいたようだった。

 

 次の日の夕方まで考えると、やっとセルジオはメルメ1世の書斎に向かった。
 父王はにっこり笑って息子を迎える。
 いつものように、机の近くにある小さな椅子に座った。本気で話す時の、決まりごとだ。
「父上、昨日の話だけど」
「うん」
「………いつ…決めたの?」
「いつ…か。そうだな、1年くらい前かな」
「そんなに前!?」
「ああ」
「どうして…?」
「どうして、か?その理由は話さない」
「何でさ!?」
「行けば分かるからさ。至極簡単にね」
「説明になってないよ」
「当たり前だ、説明する気がないんだからな。理由は、お前が見つけることだ」
「父上!?」
「あのな、セルジオ」
 メルメ1世は真顔になった。
「私はお前の父親でもあり、この国の王でもある。それは分かるな?」
 セルジオはうなずく。
「だから、お前のこととこの国のことと、両方考えなきゃならない。
そうするとだな、お前が次の王になってくれるのが一番楽なんだよ」
「…父上?それ、何だか手を抜いてるように聞こえるけど」
「バレたか」
「…なんか違うような気がするんだけど」
「手を抜けるところは抜かないと、人間息が詰るからな。
だから私は自分の子供を育てつつ、ついでに次期国王を育ててきたつもりだ。
その一環として、ハイトのところにやった方がいいと思ったんだ」
「…だったらどうして、マリアが一緒に行っちゃいけないんだ?」
 ややそっぽを向いて、拗ねた様に言うセルジオを見て、メルメ1世は苦笑した。
「お前、どこまでもマリアにこだわるな」
「当たり前だ。僕がいなくなったらマリアが淋しがる」
「さあ。案外平気かもしれんよ」
「!」
「お前のお守りから解放されて、むしろ喜ぶかもしれない」
「お守りって…!」
「違うのか?
 昨日あの後、マリアは何と言っていた?」
「…」
 セルジオは黙るしかない。マリアは決して「行かないで」とは言わなかった。
「………マリアの誕生日にも…帰ってきちゃいけないのか…?」
「何をバカなことを言ってる。ちゃんと人の話を聞け。私は『1年』と言ったはずだぞ?」
 こんなところまで、マリアの言った通りだ。
 何となくこみあげて来た涙を隠すために、セルジオはぶっきらぼうに立ち上がると、小さく「わかった」と言って背を向けた。
「行くんだな?」
「…うん」
 背を向けたまま、セルジオは答えた。そして、やけになったように叫んだ。
「行くよ、行くったら!」
「よし。じゃあ、出発は2週間後だ。自分なりに支度をしておけ」
「…」
 …わずかに王子はうなずくと、部屋を出たあとで目の端をくいっとぬぐった。

 

 セルジオが行く、ということが決まると城内や城下町はちょっとした騒ぎになった。
 人気の高い王子であるからして、無理もない。
「セルジオ様が、1年も修業に行かれるそうだ」
「どこへ?」
「国境らしい」
「そんな、国王は何をお考えなんだ?」
「可哀相だわ、お一人でなんて」
「王太子妃のマリア様もお連れにならないそうよ」
「あんまりだわ、国王様」
「まあでも、可愛い子には旅をさせろというしな」
「だからって1年も」
「サッカルー公爵の方では喜んでセルジオ様を預かるらしいぞ」
「そりゃそうだろ、もともと陛下の友達だというじゃないか」
「もう少し意図があるだろう。何しろ王太子の面倒を1年も見たとあれば、将来的には大きいぞ」
「そういうことか。そしてまさか…王様はセルジオ様のいらっしゃらない間に、マリア様に…」
「しっ、滅多なことを言うな」
 等々、まあ色々と口さがないことを言われるのは仕方なかった。
 マリアの耳にもそれらの噂はちらほらと耳に入った。不安を覚えたり少し安心してみたり、全く忙しい2週間だった。

 

 セルジオの方は色々と挨拶に回ったり、サッカルー公爵の領地について勉強したり、とマリアよりもっと実務的なことで忙しい2週間だった。
 城下で世話になっていた店には出来る限り顔を出し、その度に山ほどの餞別をもらって城に帰ってきた。
 いつものお茶の時間には父王からサッカルー公爵についての話を聞き、夜マリアと2人になったときは出来るだけ寝る間を惜しんで、色々な話をした。
 そうしているうちに何となく自分は1年も旅に出るのだ、という自覚もおぼろげながら出来てくる。
 王子は、何となくいとおしむ様に城からセステアの街を眺めることが多くなった。
 朝には朝の、昼には昼の、夜には夜の表情がある。
 セルジオはそれらの全てを目に焼きつけるでもなく、ただ見ていた。
 自分が、この街を大切だと思っていることに気づくのに、そう時間はかからなかった。
 1年後に自分が帰ってきたときにも、変わっていないといいのだけれど。