一年の約束
その9
剣の稽古が終わり、バテバテに力つきて倒れていると、不意に布が顔にかかった。
「大丈夫か、セルジオ」
かけてくれたのはティレックだった。
「ああ…うん、どうもありがと…」
「ほらセルジオ、起きろ」
ばしゃっと顔に水がかかる。
薄目をあけると、シードルの熊のような顔が見えた。手に水筒を持っている。
よっ…と、と体を起こし、側の壁によっかかった。
ティレックがくれた布で汗と水を拭う。
シードルが水筒を渡してくれた。
遠慮なく受け取って飲む。水が体に染み渡る。心地よい瞬間だった。
「どうだ、セルジオ。やっぱりこのメニューはきついか?」
「慣れたよ」
ティレックに強がりを返しておいて、肩で息をする。慣れた…と思う。けど、やはりきつい。
もっとも、最初の頃とは量も質も段違いに上がった。
1年しかないのだから、と厳しく鍛えてくれたハイトやティレック、シードルのおかげである。
「もうすぐ帰っちまうんだもんなぁ」
セルジオの隣に座ったシードルが、しみじみと呟いた。ティレックも、セルジオの反対隣に座り込む。
「まだ先だよ」
「んなこと言ったってお前、あと2ヶ月いるかいないかだろ?あっという間だ、そんなん」
「まだ2ヶ月もあるよ」
マリアに会えるまで、正確に行程を入れると3ヶ月もある。セルジオには遠かった。
「お前、また奥方のことを考えてるのか?」
「ん?うん」
素直にうなずく。最初の頃こそからかいの種にされていたのであまり素直に言わなかったのだが、この兄弟が面白がるだけだと分かってからは、却って開き直るようになった。
果たして、
「…あーあーあ。全く若いくせに所帯じみやがって」
シードルは天を仰ぐ。
「理解できんね。そんなに1人の女に縛られるのがいいか?」
平然と言い放ったのはティレックの方だ。
「マリアは2人もいないからね」
同じように平然と、セルジオも言い返す。
「女は1人の方がいいよ、兄貴。面倒がない」
セルジオのフォローに回ったのはシードル。意外なことにこの熊男にはちゃんと恋人がいた。ごく普通の武器屋の娘である。あちらの方が惚れてきたらしいが、どうしてシードルなのか、というのはこの砦の七不思議に数えられるくらいだった。
「お前はあの武器屋の娘でいいかもしれんが。俺は若いうちから一人に絞るなんて却って面倒だね。どうやって俺に誘いをかけてくる娘たちを断るんだ?」
「さっさと結婚しちまえばいいじゃないか。セルジオみたいに」
「誰と?」
「その中かから適当なの選んでさ」
「だからそれが面倒だ。第一、結婚したくらいで女が諦めると思うか?」
「諦めるんじゃないのか?」
「…お前はやっぱり分かってないな」
ティレックはふっと笑った。
「妥協して選んだ、っていうのは周囲から見ても分かるものなのさ。そうしたらそれにつけこもうとする女なんかいくらでもいるさ」
「そういうもんかねえ」
シードルはかぶりを振った。
「セルジオみたいに奥方一途ってのならまあともかくな。…選択の余地がなかった割に当たりをひいたなぁ、セルジオは。羨ましいことだ」
「えっ、でも、ティレック」
セルジオはにっこり笑った。
「僕は何人候補がいたとしても、やっぱりマリアを選んだと思うよ」
「…」
「…」
兄弟は一瞬黙りこくった。
それから示し合わせたようにセルジオの頭を一発ずつぶっ叩き、
「ごちそうさまだコンチクショウ!」
「よかったなっっ!」
セルジオを残してすたすたと立ち去ってしまったのだった。