一年の約束

 

 その4 

 マリアの祖父が来たのは、新年が明けてしばらくしてからの、よく晴れた日だった。
 メルメ1世との公式謁見を済ませたのち、マリアも交えた非公式のお茶会が予定されている。
 自室で落ち着かなく待っていたマリアは、謁見終了の報告を聞くやいなや、慌ててお茶会の会場に向かった。

 

 マリアの祖父、ラコスはもう齢70を越えているのだが、矍鑠とした老人だった。
 髪はとっくに白いが、マリアのそれと同じ蒼い瞳はいきいきと輝いている。
 まだまだ現役で商人をやっているという自信が、その小柄な体に満ちあふれていた。
 その祖父は、先にお茶会の間でマリアを待っていた。
 「お祖父様!!」
 マリアは部屋に入ると、それまでの上品さや体裁を取り払って祖父に駆け寄り、抱きついた。
 「これはこれはマリア様、すっかり立派な王太子妃になられて。爺は嬉しゅうございますぞ」
 「あぁ、だってお祖父様、久しぶりなんですもの!何年ぶりかしら?ああ…もう…」
 「だからといって一介の商人に抱きついてはいけませんぞ、マリア様」
 「だって、だって……!!」
 もうマリアの瞳からは大粒の涙がとめどなく溢れていた。
 「マリア、お祖父様に会えてよかったね」
 いつの間にやらメルメ1世が入ってきていた。
 「お、お父様」
 「きっとマリアはお祖父様に抱きつきたくなるだろうなあと思ったから、このお茶会は非公式にしたんだ。読みが当たってよかった」
 「…」
 自分の行動はお見通しであったわけだ。まだまだ未熟な王太子妃は頬を染めて、祖父から離れた。

 

 茶が入れられ、なごやかな空気がその場を包む。
 並んだ菓子はいつものお茶菓子より種類も多く、皿も普段使っているものとは違っていた。
 もっと言うと、部屋自体が違う。いつもメルメ1世とマリアがお茶を楽しむ部屋ではなく、もっと広い客間だった。
 その一切がマリアには気にならなかった。
 懐かしい祖父が近くにいる。
 「マリア、どうしたんだい?」
 メルメ1世が聞いた。
 「え…?」
 「お祖父様とお話、しないの?」
 「えっと…」
 何を話したらいいのか、却ってよく分からない。
 「妃殿下、どうかされましたか?」
 ラコスが茶化してきた。
 「お祖父様ったら…」
 「マリア、私に遠慮しなくていいんだよ。お祖父様に聞きたいことなんて、山ほどあるんだろう?」
 山ほど、と言われてもマリアには今はたった一つしか思い当たらなかった。
 「お…お母様は…」
 「おや妃殿下が我が娘のことを気にかけて下さるとは、恐悦至極」
 待っていましたとばかりにすかさずラコスが言い、からからと笑う。
 「お祖父様!」
 「ハハハ、妃殿下はそうじゃなきゃいけない。大人しすぎて、一体どこの借りてきた猫かと思いましたぞ。ええっと、我が娘、アニエスにおきましては妃殿下にとても会いたがっていたよし ─ それが叶わぬと知るや、この爺めにほら、この通り」
 ラコスの懐から出てきたのは、一通の手紙だった。
 「お母様…」
 見るだけで、マリアの目が潤む。
 「よかったね、マリア」
 マリアは思いきりうなずいた。今すぐ手紙を読みたくて仕方ないが、そんなはしたないことはさすがに出来ない。
 ラコスはそんなマリアの表情を楽しんだ後、話題を転じた。
 「しかし残念ですな、王太子殿下がいらっしゃらないとは。爺も悪い時期に来たものです。妃殿下と並んだところを拝見したかった」
 「ああ、見ない方がよろしいです、ラコス殿。きっとがっかりしますよ。マリアと比べたらセルジオなど」
 「おやおや、セルジオ王子は評判の美男子と聞いておりますぞ」
 「そうよ、お祖父様。セルジオ様は素敵な方なんだから。お父様ったら、セルジオ様に点が辛すぎますわ」
 「のろけられてしまった。陛下、王太子御夫婦の仲は相当宜しいようですな」
 「おかげで私など、いつも爪弾きで」
 「嘘ばっかり、お父様!」
 「だってマリアは、毎月毎月セルジオから来る手紙を、私に見せてくれたことないじゃないか」
 「…それは…」
 「親の私には手紙の一本も寄越さないくせに、妻には毎月せっせと手紙を書いてくるのですよ、うちの親不孝息子は」
 「いやぁ、眩しいまでのご寵愛ぶり。妃殿下、あだやおろそかにお思いめさるなよ?」
 「お祖父様!お父様も!まったく、もうっ…」
 顔を真っ赤にしたマリアを見て、2人の大人は愉快そうに笑っていた。