一年の約束

 

 その3 

 国境の砦も、そろそろ本格的に寒い季節を迎えていた。
 セルジオのいる部屋にも火が入れられるようになる。
 吐く息も白くなってきた。
 「マリアは大丈夫かな」
 セルジオは呟くと、部屋を出た。

 

 向かった先は、館の出口である。
 すっぽりとコートに身を包んだフェルディオーレが、むくれた顔で待っていた。
 「セルジオ、遅いわ」
 「ごめんごめん」
 今日は、フェルディオーレの買い物につきあうことを約束していたのだった。
 本当はティレックとシードルも共に向かうはずだったのだが、何故か二人とも直前に用事が入ったとかで、セルジオが1人でお供することになったのだ。
 フェルディオーレの隣には、シュレインも控えていた。
 一緒に行くつもりらしい。
 女性を二人もエスコートする機会などついぞなかったセルジオは、やや戸惑った。
 「あの…ハイトさんは?」
 「お父様は忙しいし、お買い物なんて興味ないもの」
 事も無げにフェルディオーレは言う。
 ― そりゃそうだよな…。
 「セルジオ様、今日は宜しいんですの?」
 「特に…予定もないですから」
 「約束してくれたんだからいいのよ、お母様。さ、行きましょう」
 フェルディオーレは意気揚々と表に出た。 

 

 砦の中にはちゃんと店がある。
 兵士達やその家族などがいるわけで、そうすると必然的に店が必要になり…とまあ、砦というより城塞都市に近い形になってきているのであった。
 館からは馬車で向かうことになる。
 女性二人と差し向かいに座ったセルジオは、どうにも落ち着きの悪さを隠せなかった。
 「セルジオ、どうしたの?」
 「ん…いや、別に」
 「何か落ち着きがないみたいよ」
 「そんなことないけど…」
 「んんー」
 フェルディオーレは、猫のような目をくりっとさせてセルジオを見た。
 この目は、どうしてもマリアを思い起こさせる。
 「お買い物、キライ?」
 「そんなことないよ」
 セステアにいた頃は、城下町に向かうのが大好きだった。
 むろん、マリアともよく行ったものである。
 「よかったぁ!ね、お母様?」
 「そうねぇ。お父様はあの通りだし、ティレックもシードルもついてきてくれないんですものねぇ」
 シュレインは相変わらずゆったりと笑う。
 「今日は何を買うの?」
 「服!それからねえ、色々」
 服?
 マリアの服は城下から仕立屋を呼んで作らせていたし、それに立ち会ったこともなかったセルジオは不幸にして知らなかったのだ。
 女の服選びというものを。 

 

 店に入ると、愛想のいい主人が一行を出迎えた。
 「これはこれはシュレイン様、フェルディオーレ様、早速のお運び、有り難う存じます」
 「こんにちは」
 フェルディオーレはきちんと挨拶した。
 店内には生地がたくさんある。まあ、セステアの仕立屋とは比べものにならない規模だが、この辺境の地にしては頑張っているといえた。
 セルジオが見たこともないような珍しい生地もある。あとで知ったのだが、それは隣国レストカ産のものだった。
 「ねえ、新しい生地はどこ?」
 「はい、今お出ししますよ。お待ち下さいませ」
 にこにこと主人は言い、店の奥にひっこんだ。
 「セルジオ様の服も作りましょうね」
 シュレインがそう言って笑った。
 「え?僕のも?」
 「ええ。冬服を作らなくてはね」
 「あ…」
 そんなこととは知らなかった。
 ― そうか、だから僕を呼んでくれたのか。
 店内のあちこちの生地を、踊るような足取りで見ていたフェルディオーレがくるっと回ってセルジオの前に来た。
 「どんなのがいい、セルジオ?」
 「僕は…動きやすくて、あったかければいいかなあ」
 「つまらないこと言わないでよぅ」
 「だって別に、こだわりはないから」
 「んんん。じゃあ、何でもいいのね?」
 「そこまで投げやりじゃないけど」
 「煮え切らないわねえっ。もうっ」
 ぷくーっとフェルディオーレがふくれたところで、主人が奥からどっさりと布を抱えて戻ってきた。
 布の他に、コートやベスト用の革や毛皮もある。
 「うわぁ」
 フェルディオーレは歓声をあげて飛びついた。
 色はパステル調のものが多い。主人はちゃんとシュレインとフェルディオーレの好みを分かっていた。
「どれもフェルディオーレ様にお似合いだと思いますよ。そうそう、新作の型紙も、ちゃんと入荷しております。試作品がありますが、ご覧になりますよね?」
 「もちろんよ!」
 「フェルディオーレ、セルジオ様の分はどうするの?」
 シュレインが口を挟んだ。
 「あっ、そうだった!…ねえ、今日はセルジオの分もお願いしたいんだけど」
 「セルジオ…?」
 主人はそこで初めてセルジオに気がついたようだった。
 「あ、どうもこれは…ええと…」
 「セルジオよ。うちでお預かりしている、フェバートさんのご子息です」
 「はあ、こりゃどうも…」
 「お母様、それじゃ分からないわ!いいこと、セルジオ王太子殿下よっ!王子様よっ!」
 「…え?ああ!?」
 主人はやっと「セルジオ」という名前に思い当たったようだった。
 「大変失礼いたしました、セルジオ王子。まさか王子が手前のような店にお運び下さるとは思ってもみなかったもので…大変、大変失礼をば」
 「いいよ、そんなに謝らなくても」
 「ええと、ではどういたしましょう。御希望は、ございますか?」
 「王子様よ、セルジオは!」
 セルジオが何か言うより前に、フェルディオーレが高らかに言った。
 ─ …?
 セルジオは、その時点でもまだよく分かっていなかったのだった。