一年の約束

 

 その2 

 セステアのうららかな午後。
 マリアは読みかけの本をぱたりと閉じた。そろそろ、お茶の時間だ。
 果たして、本を閉じるのを待っていたかのように侍女が部屋に入ってきて、マリアに声をかける。
 「失礼致します、王太子妃様。国王陛下がお呼びでございます」
 「はい。すぐに参ります」
 予想通りだった。マリアはいそいそとサンルームに向かった。

 

 うららかな日とはいえ、もう気温はかなり低い。
 夏には窓を開けていたが、少し前から窓は閉めてお茶を飲むようにしていた。
 それでも、明かりを最大限取り入れるように考えられ、作られたこのサンルームは暖かくて心地よい。
 マリアが入っていくと、既にメルメ1世がテーブルについていた。
 「やあ、マリア。忙しくなかったかい?」
 「平気です、お父様」
 にっこりと笑って、マリアもテーブルにつく。
 絶対に欠かさないお茶の時間だ。
 もとはといえば、メルメ1世の亡き妻、ネーナが「いくら忙しくったって、お茶の1杯も飲めないような生活なんて意味がない」と言い放っていたそうで、律義な夫は妻の信条を守ってお茶の時間は必ず取るようにしているのである。勿論、忙しいときは時間が短くなったりもしたが、とにもかくにも大事なひとときであった。
 侍女が手際よくお茶を注ぎ、目の前には小さな砂糖菓子と焼き菓子が置かれている。
 「お父様、今日のお砂糖菓子はとっても可愛いわ!」
 マリアは思わず声をあげた。だって、その小さな砂糖菓子はちゃんと可愛い馬の形をしていたのだ。
 「本当だね。そうか、私たちがお茶をすることでセステアの菓子技術もあがるんだなあ。いいことだ」
 「お父様…」
 「や、即物的すぎたかな。とにかく、食べるのがもったいないね」
 「本当……こんなに可愛い馬なんですもの。セル…」
 セルジオ様にもお見せしたいわ、とマリアは言いかけてやめた。自分の馬を大層可愛がっていたセルジオである。このお菓子を見たらどんなに喜ぶかと思ったのだが。
 何となく最近、マリアはメルメ1世の前でセルジオの話をするのを避けるようにしていた。淋しがってばかりだと思われるのが嫌だったからだ。
 セルジオ様はあちらで一人で頑張ってらっしゃるのだから、私はせめて愚痴を言ったりしないで頑張らないと………。
 果たして、メルメ1世は静かに笑った。
 「セルジオが帰ってきたら、もう一回作ってもらうことにしよう。きっと喜ぶだろうね」
 「…そうですわね」
 マリアはじんわりと湧いてきた涙を隠すようにうなずいた。
 「セルジオはちゃんと馬を大事にしているかな」
 「してらっしゃいますとも。こちらにいらした頃だってあんなに可愛がってらしたんですもの」
 「そうじゃなくて、ハイトに喰われないようにちゃんと守れてるかなってことだよ」
 「ええ!?」
 「ハイトは馬くらい喰いかねんからな。心配だ」
 マリアこそ、ハイトがどんな人物か分からずに心配するばかりであった。

 

 お茶が済んだ後、メルメ1世は政務に、マリアは読書に戻る。
 自室に向かうマリアをしばらく見やってから、メルメ1世は歩き出した。

 

 今日の午後は、兵士の稽古を視察することになっていたメルメ1世は、その場に向かう途中でふと城下町を見下ろせる渡り廊下を通った。
 しばらく足を止めて城下街を見やる。
 美しい街だと思った。
 出立する前の息子は、よくここに立ち止まって街を見ていたものだった。
 「陛下?」
 後ろをついてきていた侍従が声をかける。
 「ああ、いや…別に…」
 メルメ1世は少し笑い、尚街を見ていた。
 「セルジオ様のことですか?」
 メルメ1世と同じ年頃の侍従は、あっさりと察した。
 「…分かるか」
 「勿論です。私だって、セルジオ様のことは折に触れて思い出されます。きっと、この城のものは皆そうでしょう」
 「…そうか」
 「そうですよ」
 ─ 俺の息子は、随分人気があったんだな。
 少し冷たい風が吹いてくる。フェバートは思わず肩をすくめた。
 「結構寒くなってきたな」
 「陛下、とりあえずお急ぎ下さい。兵が待っております」
 「そうだな、すまん」
 メルメ1世は歩こうとして、ふとまた歩みを止めた。
 「…陛下?」
 「なあ。
 俺はもし、セルジオが芳しくないほうに成長していたり、ありえないことだが………もしものことがあったとしたら、どのくらい後悔して、どのくらいマリアに償えばいいんだろうな」
 「…陛下」
 誰に向けられた言葉でもないと侍従は分かったが、臣下にしては出過ぎたくらい強い調子でたしなめた。
 「…そうだな、すまん。忘れてくれ」
 今度こそメルメ1世は歩き出した。侍従はそっと付き従う。
 「ああ、料理長に今日の砂糖菓子は、とてもよかったと伝えておいてくれ。技術をもっと磨いてくれるとなおよい、とね」
 「…セルジオ様が帰っていらっしゃるまでに、ですね」
 「………」
 歩いているフェバートに、もう一度冷たい風が吹きつけ、そのままセステアの街へ降りていった。
 冬は、もうそこまで来ているようだった。