一年の約束

 

 その1 

 「おーい、セルジオ」
 シードルが、唐突にセルジオの部屋に入ってきた。
 「遠乗りしに行くけど、来ないか?」
 よく晴れた昼下がりである。遠乗りにはもってこいの陽気ではあった。
 だが、セルジオはこの時間軍学の勉強をすると決めている。
 「ありがとう、でも…」
 「でも、何だ?」
 ハイトそっくりのシードルは、やっぱり熊のような顔をセルジオに向けた。
 「僕はこの時間、軍学の勉強が…」
 「なーんだ、そんなの」
 シードルはずかずかとセルジオに歩みより、ひょいっと彼を椅子から立たせた。
 「あとからでも出来るぜ。くだらんこといってないで、来い来い」

 

 「遅かったな」
 ひと足早く、厩舎ではティレックが待っていた。
 鍛えられた、鞭のような体の美丈夫である。
 シュレインに似たせいか女顔ではあったが、その冷たい瞳のせいで、受ける印象は随分違った。
 「悪い悪い兄貴。セルジオがだだこねてさあ」
 殆どシードルに引きずられるように、セルジオはやってきた。
 「何故。セルジオ、どうかしたのか?」
 「どうかってわけじゃないけど…この時間は軍学の勉強をするのが日課だったから」
 「くだらん」
 シードルと同じことを言うと、ティレックは鼻で笑った。
 「セルジオ。お前、頭は悪くないがな。臨機応変、って言葉を覚えた方がいいぞ」 
 「行かないとは言ってないよ。それより前にシードルが引きずってきただけ」
 「お。言うようになったな、こいつ」
 「全くだ。来たばっかりの頃は今頃『ごめんなさい』が出てたぞ」
 兄弟はからからと笑った。
 セルジオも笑った。…ここで笑えるようになったのは、この一ヶ月の進歩である。
 来た当初はこの二人のペースについていけず、何かと言えば謝っていた。…王子とは思えぬ腰の低さであるが、仕方がなかった。何しろ居候の身分であるし、上の兄弟にどう接したらいいのか知らなかったのである。
 「じゃ、行くか」
 ティレックが愛馬にひらりとまたがった。セルジオとシードルもそれぞれの愛馬にまたがり、3頭は仲良く走り出した。

 

 平原を気持ち良く走る。馬達も嬉しそうだった。
 いつもより少し遠出をして、砦からだいぶ離れた丘の上まで行く。
 「この辺にするか」
 ティレックが馬を止め、シードル、セルジオも倣った。
 よく頑張ったな、と愛馬の鼻面をなでた後、ティレックはシードルとセルジオに干した果物を配る。
 「おやつだ。欠かせないだろ?」
 「ありがと、兄貴」
 「ありがとう、ティレック」
 それぞれに弟達は礼を言うと、近くにあった大きな石に腰かけ、おやつをいただいた。
 セルジオは内心、感心する。僕もこういう気配りが出来るようにならないとな。
 ティレックは馬達にもちゃんとおやつを持ってきていた。馬達も嬉しそうに食べている。
 「セルジオ、あっちを見ておけ」
 「ん?」
 ティレックが指し示した方にセルジオは目をこらした。
 こちらとあまり風景の変わらない平原が続いている。
 「この丘のすぐ下からが、レストカ。お前にとっても俺たちにとっても、重要な国だ。な?」
 「…うん」
 セルジオの表情が引き締まった。
 砦からも見えるが、今は足を踏みだせばすぐ入れる距離にある。ディークシア大陸きっての軍事大国、レストカ。
 サゼス王朝が密かに助けを求めていたという国。
 セルジオの妃はアイルーイよりむしろレストカから、という意見を持った臣下も多かったという国。
 セステアにいた頃は「北にある国」という程度の認識しかなかった国が、今はこんなに近い。
 「今は、北の小国、リーランドにかまけているらしいがな。その蹴りがついたらどうなるか、わからない。今のところ…あまり、クスコに手を出すつもりはないらしいが。お前の妃もいることだしな」
 「…マリア?」
 ティレックはうなずいた。シードルがあとを引き取る。
 「色んな意見があるだろうが、俺はメルメ1世がセルジオの妃をアイルーイから妃をもらうことに決めたのは良いことだと思うぜ。とりあえずこれで、クスコはレストカの従属国にならずにすんだ」
 「そのかわり、国境をしっかり見張らなければならなくなったがな」
 ティレックが苦笑する。
 「いいじゃないか、俺たちの仕事だ」
 「まあな」
 「セルジオ、今クスコはどうするべきだ?」
 シードルの問いに、セルジオは真面目な顔で答えた。
 「国内の統一。基盤を固めて、クスコが長生きできる準備を整える時だ」
 「その通り」
 2人はにっこりと笑った。
 「だからセルジオ。俺たちは、ここで見張っている。セステアに帰ったら、国境のことは心配しないで内政に力を尽くすんだ」
 「実際にここに来たことで、俺らが信用に値するって分かっただろ?心配ないだろ?」
 代わる代わる2人が言う言葉に、セルジオはにっこり笑ってうなずいた。
 ─ ここに来て、よかった。