木曽の最期

 

 木曽軍はわずかに三百騎である。その三百騎が六千騎の中に入り、さんざん駆け破って出たときには五十騎ばかりになっていた。
 更に進むとまたここにも敵、あそこにも敵である。駆け破り駆け破りするうちに、いつしか木曽軍は主従わずか五騎になっていた。その五騎のうちにも美しい巴御前は討たれずに残っていた。
 「巴」
 義仲はついに彼女を呼び寄せる。
 「はい」
 「お前は女なのだから、何処へなりといくがいい」
 「嫌です」
 巴は即座に言った。
 「殿のお側にいたいのです。だから共に並べるだけの強さを手に入れ、こうやってお側にいるのです。殿をお守りして討死にするが巴の本望。どうか、お分かり下さいませ」
 「俺はな、巴」
 義仲の端正な表情は変わらなかった。
 「討死をすると決めた。もし名もない雑兵の手にかかるくらいだったら自害をする。その時に義仲は最期の戦に女連れで参った、女々しい男よと笑われるのは我慢がならぬのだ」
 「嫌です。ならば巴は殿より先に、殿をお守りして、果てます。決して殿より命永らえることは致しませぬ。ですから、どうか」
 「巴」
 男がこうと決めたことを口にするときは、何か従わなければならないようなものがある。気丈な巴も一瞬少女のように戸惑い、兄の兼平をみやった。
 兼平も、ゆっくりとうなずく。
 巴はそこで初めて義仲の本意に気づいた。
 ─ お前は、生きろ。俺の前で死ぬより、俺を忘れずに、生きてくれ。
 男の狡さだった。共に生きてはくれないくせに、決して忘れさせてくれない。
 ─ ならばせめて、並の男なら太刀打ちできぬほどの強い敵を!
 自分が心から愛した男の目に、戦いに身を灼くその姿を見せたかった。それこそが自分の存在する、生きる理由だった。義仲が死ぬまでの間に、死んでからもなお忘れ得ぬ程の姿を見せなければならなかった。
 世間に名の聞こえた巴御前、最後の戦をしてみせる。それに相応しい敵が出るまで私は去るまい。
 血がにじむほど唇を噛みしめて義仲の少し後を進む巴の前に、ついに望む敵が現われた。
 武蔵国の御田八郎師重(おんたのはちろうもろしげ)という世に聞こえた怪力の持ち主である。三十騎ほどの手勢をつれていた。
 巴はその姿を認めるや否や愛馬「春風」の腹を蹴り、まっすぐに御田めざして飛びかかる。
 一瞬の出来事だった。手勢が何をする暇もなく、巴は御田にむんずと組んで引き落とし、「春風」の鞍前輪に押しつけて身動き一つ許さず、その首をねじ切って捨ててしまったのである。
 「殿!」
 ただ一言、万感の想いを込めて彼女は呼んだ。涙は見せなかった。そんなもので目を曇らせ、愛する男の姿が霞むのは嫌だった。
 義仲が穏やかに笑った。笑ってうなずいている。
 ─ 良かった。
 その間に二人は幾千の言葉を交わしあうよりも深い言葉を交わしたのだった。
 彼女は血にまみれた鎧兜を脱ぎ捨て、御田の手勢を軽やかに躱しながら「春風」と共に去った。

 

  その後残り二騎も討たれ、とうとう義仲と兼平二人きりになる。
 「日頃はなんとも思わないのだが…今日は鎧が重い。何故だろうな」
 義仲の言葉に兼平が強く言い返した。
 「御身もまだ疲れてはおりませんし、御馬も弱ってはおりません。また何故たかが一領の鎧を重いなどと。味方が少なくなってきて臆病になり申したか。この兼平一騎をもって余の武者千騎と思い下さいませ」
 「そうか」
 「ここに射残した矢が7,8本ございます。しばらく私が敵を防ぎましょう。あそこに見えるのは粟津の松原と申します。殿はあの松の中にて静かに御自害下され

 その言葉に応えるように、新手の敵が五十騎ほど現われた。
 もう時間がない。
 「兼平がここをしばらく防ぎます。殿はあの松の中へ、早く!」
 義仲は首を振り、兼平に駒を並べた。
 「冗談はよせ。俺は六条河原で死ぬよりお前とともに死にたいと思ったからこそ、多くの敵に後ろを見せてまでここまで逃れてきたのだ。今更別々に死んでどうなる。死なばもろとも、だ」
 「殿!」
 兼平がはじめて顔を歪め、馬から飛び降りて義仲の馬の口にすがった。それから血を吐くような思いで涙とともに言葉を口にする。
 「弓矢を取るものは、どれだけ名をたてようと最期に不覚を取ればその名に深く瑕がつきます。
 殿のお体は疲れております。御馬も弱っております。名もなき雑兵に組落とされて討たれ、『日本国に鬼神と聞こえた木曽殿を、俺様が討取ったり!』などと言われましたらどれだけ悔しいことか。
 私にとっては幼き日の誓いより殿の御名の方が大事。どうかどうか、あの松の中にお入り下さいませ」
 義仲の目にも涙が浮かんだ。
  「……さらばだ」
 
短くそれだけを言い捨て、義仲は粟津の松原へ入っていった。

 

 今井四郎兼平は敵五十騎の中に取って返し、あぶみ踏ん張り立ち上がり、
 「遠からんものは音にも聞け、近くば寄って目にもみよ。木曽殿の乳母子(めのとご)、今井四郎兼平生年三十三、さる者ありとは鎌倉殿(源頼朝)も御存じだ!この兼平、討てるものなら討って頼朝公の目にかけよ!」
 高らかに言い上げたあとは射残した矢の八本をさんざんに撃つ。死んだかどうかはともかく見事八騎を落とし、後は太刀を抜いて斬って斬って斬りまくるうちに斬りあおうという敵がいなくなった。
 「刀では勝負にならん、遠くから射よ、射るのだ!」
 敵の将がこざかしいことを言い矢が数えきれぬほど飛んではくるものの、そんなへぼ矢が当たるほど兼平は安くない。通る道理がなかった。

 

 義仲はただ一騎、粟津の松原へ向かう。頃は一月の夕暮れ(注:今の暦に直すと二月末頃)で、薄氷が張っていた。 そのせいで深さが分からない。そのまま馬を進めていくと急に馬の頭が見えなくなる。深みに嵌まってしまったのだ。
 手綱を押しても引いても、鞭で打ってももう馬は動かない。もはやこれまでと思う中に、ふっと気になった。
 ─ 兼平は?
 振り向いた瞬間が命取りになった。矢が飛び、兜の内側に刺さる。
 たまらず伏した義仲に郎党が駆けつけ、あっというまにその首は掻ききられてしまったのであった。
 郎党は掻き切った首を太刀の先にさし、高く差し上げる。
 「日本国に鬼神と聞こえた木曽殿、三浦の石田次郎為久が討取ったり!!」

 

 その声は兼平の耳にも届く。
 ─ 本懐、叶わずか。
 わずかに兼平は目を伏せた。想定しうる中で最悪の事態だった。

 ならばせめて。
 「今は誰の為に戦う必要があろう。東国の殿ばら、これを見よ。日本一の剛の者の、自害する手本!」
 せめて、俺は日本一の剛の者でいよう。
 そうすれば殿の名誉は救われる。それ程の剛の者を手下にしていた義仲はさぞ器量があったのだろうと後世まで語り継がれるだろう。それでいい。
 巴もそれで許してくれるだろう。
 兼平は太刀の切っ先を口に含み、馬から真っ逆さまに飛び落ちてその身体を貫いた。

 

 粟津の松原に日は暮れる。
 戦い尽くしてその名を守った木曽の─ 義仲の、そして兼平の、巴の最期がそこに在った。